Miscellanea 思いのまま、感じたこと



2022年4月2日

Title : 音楽家としての姿勢。アイザック・スターン。本当の事を言う事と、傷つけること



先日、You Tube を見ていたら、

ヴァィオリニストの Isaac Stern 氏が、意味深い事を言っていた。

曲は、サン・サーンスの序奏とロンド·カプリチオーソ。

実はこの曲、期せずして、今年の北京オリンピックで、羽生結弦選手がフリーで使用していた曲で、サラサーテに献呈されたため、スペイン風の美しい曲。

そんな短いレッスンの、一瞬に垣間見たアイザック・スターン氏の言葉、表情、ニュアンスの三位一体となったある瞬間。

一瞬にして現れた何かが、いったい何なのか………を、ちょっと探ってみたくなり、考えてみました。


動画(後出)開始のシーン。

公開レッスン中、生徒に向かって

You don't use music to play the violin.

You use the violin to play music.

と言っている。

この2つの文を立て続けに、かなりの真顔で生徒にはっきり言っている。

ちょっと、恐いくらい。

以下その短い動画です。

"Saint Saens Introduction & Rondo Capriccioso (Isaac Stern)" を YouTube で見る

以下のリンクをタップ

https://youtu.be/AIoGWaYHB3Q


初めの文は、そのまま訳しても、ちょっとキツイ事を言っているけど、意味は解る。

you don't use music to play the violin.

あなたは、ヴァイオリンを演奏するのに、音楽を使っていない。


次の文が曲者。

you use the violin to play music.

あなたは、音楽を演奏するのに、ヴァイオリンを使っている。

この直訳では、意味をなさない。

なぜなら、これは、当たり前。

だから、きっと違う意味でしょう。

多分、「使う」と言う言葉、use に、何か含みがありそうだ。


普通、音楽を演奏するとの意味で、 use と言う単語は使わないし、アメリカにいた時も、そんな使い方は聞いた事がない。

念の為、辞書で調べてもらったが、use music と言う言い回しは、なかった。

況してや、use the violin と来ると、use の意味が、ここでは少し違ってくるのではないか。

普通に演奏するの意味なら、これも、play the violin ですから。

そして、この時、やけに use に、アクセント気味の強いニュアンスがあるように話していたと思うと、ますます、何かを暗示したかったのではと、考えてしまう。


さらに調べてみた。

use は、名詞では、使用する能力の意味も含む。

動詞は、使うの意味から、利用するとの意味合いまでも含む。

さて、この真顔のアイザック・スターン氏、将来音楽家を目指すだろう生徒に、どんな事を伝えたかったのだろうか……。

もちろん生徒は、優秀な生徒である事に間違いはないだろう。

素直に話を聞いて、ちゃんと理解したと思えるのは、その柔らかい態度と微笑みで察しがつく。


しかし、スターン氏の言っている事の根底には、もっと非常に厳しい音楽への姿勢、思いがあったのではないか。

以下、非常にきつい言い方になってしまいましたが、これは、音楽家すべてを対象にしたメッセージではないかと思い、その真意を推察、意訳してみました。


あなたの演奏は、音楽を使わないで、使っているのは単なる楽器じゃないですか............

と言う、use と言う単語を使った、何とも辛辣な皮肉ともとれる様な一言。

暗に、楽器を利用しているだけと言うニュアンスが、use に込められているなら、かなり手厳しい。


しかし、その気持ちを推察してみると、

……………楽器、ヴァイオリンを、ただ使うだけで、音楽を演奏しないでくれ………

………どうせ使うなら、音楽は必ず使ってくれないと、音楽の演奏にならないからね………

そしてこれは、その時レッスンを聞いていた聴衆にも向けられた、スターン氏の心からの思いなのだとも、私は思う。

遅れ馳せながら私は、今動画を見て、その言葉の持つ重さ、意味を、自分の身にも置き換え、考える。


さて動画では、その後のレッスンは、見ていて吹き出しそうなくらいに、楽しく面白い。

せっかく音楽を持っているのだから使おうよ。

こんなに面白いんだよと、生徒に、これでもかと言わんばかりの茶目っ気さを持って、音楽への思い、楽しさを伝えるのです。

真顔のセリフの後の、楽しいレッスンは、動画にてご確認の程を。


やはり、音楽家にとっての真実、本当の事は、厳しくとも、相手には率直に伝える。

真剣に扱っているのだから、嘘は言えない。

私の心にも突き刺さる言葉でした。

大切な言葉は、発せられた一瞬に込められた何かがある。

音楽も一緒だと思う。

そこに、音に、何かが込められて、初めて音楽になる。


楽しくて面白いながらも、含蓄のある動画でした。

さて、ちょっと話が逸れるかも知れないですが、これは私個人の勝手な考えと思い、聞き流して頂いても構いませんが、取り敢えず認めさせて頂きました。

いきなり直球かも知れませんが……


極端な言い方かも知れないですが、音楽を教える時に、もし人を傷つけてしまう人がいるならば、もしそれが故意であったならば、ひょっとしたらその人、音楽を本当に愛していないのではないか……。

いくらキツイ事を言ったとしても、その人の歩んだかもしれない過酷な人生から出ていた言葉ならば、その言葉の根底にあるものが何かを、その真意が何かを感じられるのではないか。

心の底に何があるのかで、例え同じ事を話しても、さらには、同じ言葉を発しても、その持つ説得力は自ずから違ってくると、私は思う。

単に傷つけるだけの言葉とは、得てしてあまり根拠がない言葉だと、私は思っている。

まあ、それでも傷ついちゃう事は、あるかも知れないけれど、そこには、お互いの信頼関係も絡んでくるし……、簡単な話ではありませんが。

……………それでも、本当の事を言う事と、傷つける事は、別物だと、私は思っています。



2020年11月26日

Title : ロンドンナショナルギャラリー展 ゴッホのひまわりを見て考えた



ご存知、このロンドンナショナルギャラリー展のキャッチフレーズみたいに言われていた目玉作品の1つが、ゴッホの「ひまわり」です。

ロンドンナショナルギャラリー展図録より。

(ロンドンナショナルギャラリー所蔵ひまわり4枚目のサイン入り)



遡ること昨年秋、上野の西洋美術館での松方コレクション展で、ゴッホの「アルルの寝室」を見て感動して以来、このロンドンナショナルギャラリーの「ひまわり」を、さらに見たくなってしまったのです。



実は日本にもあるゴッホの「ひまわり」はこのロンドンナショナルギャラリーの「ひまわり」を、ゴッホ自身が模写した作品です。


購入された時には、そのお値段も相まってずいぶん評判になっていた事は有名ですが、私も1998年秋にその「ひまわり」を見に行っていました。



                         🌻



ゴッホのひまわりミニ知識。   7枚あるひまわり


ゴッホはひまわりの絵を1888年から1889年にかけて、7枚描いていますが、自筆サインをいれたのは、ミュンヘンにある3枚目とこのロンドンの4枚めだけです。

上段左から1、2、3 枚目

下段左から5、6、7 枚目


自分で認め、サインをしたうちの1枚がロンドンナショナルギャラリーの作品だったのです。


日本にあるひまわりは、東郷青児記念美術館・損保ジャパン美術館蔵です。( 写真5)


                        🌻


日本にあるゴッホのひまわりを見に行ったのは、丁度アメリカに住んでいた頃、数ヶ月だけ日本に帰っていた時でしたので、はっきりと覚えています。


しかし、何時見たのかは覚えていても、その時どんな印象を持ったかが、何故かあまり覚えていないのです。


その時の日本滞在中に、私は頻繁に用事で東京に出掛けていました。


時を同じくして、偶然にも銀座のためながギャラリーで見た、モーリス・ド・ヴラマンクの風景画には、一瞬でやられてしまったのに。


私は、ヴラマンク見たさに、暫くの間ほぼ毎週、銀座のそのギャラリーの付近に出没していました。



ゴッホに話を戻しまして。


ですので、今回は、リベンジも兼ねて、このロンドンの自筆サイン入りひまわりを見る事に、とても期待をしていたのです。


しかしながら、その結果は、あまり釈然としなくて……作品にキュンとしなかったのです………何故かしら?



考えて見ました。


100歩譲って、この展覧会の〆の位置に展示されていて、そこに辿り着くまでに、名画でお腹がいっぱいになってしまっていたからか……。


あるいは、展示場所が出口のすぐ横で落ち着かず、雰囲気がいまいちだったからか……。


どちらも、原因としては有りかと思いますが、多分真実ではないでしょう。


私には、正直迫ってこなかった。

よく解らなかったと言うか、感動があまりになかった。


と言う事は、ただあまり私の好きなゴッホではないと言う事だけかもしれないが。


私の場合、絵をよく認識しようとする前に、まずぱっと見た時、画面から真っ先に来る印象と言うか、何かが、この時私にはやってこなかった。


こんな事あるかしら。


ゴッホですよ。


あるいは、私の受け取りにくい何かを表現しているのか…。


この謎を、今回私は考えてみたくなりました。


このひまわり、私には、不思議な絵です。


ひまわりの花というよりは、花びらが落ち、花が終わり種子がぎゅうぎゅうに詰まったひまわりの方に、これは何?と目が行ってしまうのは、私だけでしょうか……。


花より種子みたいな……。


その種子の詰まった部分の塗り方が、これでもかと言うくらいの執念……いや違う、更に言ってしまうと、何か不快さを感じられるタッチに、私には思えるのです。


いったいどうしたの、ゴッホ。


ゴッホは、いったい何を感じ何を表現したかったのか……。



ひまわりの花部分。


ロンドンナショナルギャラリー展図録より。

厚塗りが、こんな具合に。


同図録より。部分

ジョルジョ・ルオーの厚塗りとは、全く違う。


花と言うよりは、塗り込めたかったのは何かと言うところに、考えが行ってしまいます。


この絵が描かれた頃のゴッホについて


その頃ゴッホは、アルルに移り住み、芸術共同体として、ゴーギャンとの黄色い家での生活を夢見ていました。


そのゴーギャンを待ちながら描いていた、まさにゴーギャンの部屋に飾る為のゴーギャンのひまわり。


私が言うのも何ですが、夢と言うものは、思い描いている時は、甘美で幸せですが、それはある意味、夢想と言う美しいだけのもの。


ゴッホの感性は、そんなただ単純なだけのものでは決してなかったと、私は思います。


夢の反対側にあるものも、無意識に感じとらない訳はないだろうと思います。


夢の対象が人間なのですから、その相手あっての答えは、結果として後から解るのかも知れない…。


麦畑……


星月夜……


私は、こんな絵を思い浮かべてしまった。


言葉では言えない感情を封じ込める為に選らばれし花、ひまわり。



悲惨な事件も起こり、この共同生活は、2ヶ月ももたなかったのでした……。


そしてゴッホはこの後、精神的に不安定になってしまいます。


何と言う事だったのでしょうか。



こちらの絵は、ゴーギャンの「花瓶の花」。

ロンドンナショナルギャラリー展図録より。



さて、始めに少し書きました、松方コレクションの「アルルの寝室」とは、1889年、破綻したゴーギャンとの生活後、精神的に不安定になったゴッホが病院としてあった修道院の一室で、以前に描いた寝室の絵を、母のため模写しての制作でした。


実は、この経緯は、絵の鑑賞後に調べて知った事実です。


そんな状態、状況の自作模写でも、この「アルルの寝室」、私には感動的でした。


孤独でも、静謐な、幸せさえも感じさせるかつて暮らした部屋。


ただの部屋でありながら、ゴッホが何か大切にした自分がそこにいます。


私には、ひまわりは、ちょっと見ていて、ついては行けなかった。


かなり乱暴な言い方をしてしまうかも知れませんが、ひょっとしたら絵には、制作過程において、2通りの内面昇華の結果があるのかも知れないと思うのです。


1つは、自分の中で否定的な内容のものであれ何であれ、制作するにあたり、主題が納得のいく表現に達して昇華された作品。


極、上手く行った時です。


もう1つは、昇華をしないと言う選択をした作品。


昇華が不可能だったからか、昇華を諦め他の手段に訴える選択をしたのか……。


私にはこのひまわり、第2の選択に思えてしまう。


この私が感じる謎は、ゴッホに聞かないと解りません。


が、芸術作品とは素晴らしくても、そこには好き嫌いが必ずや入るものです。


この作品が好きな方は、たくさんいるのですから、これは飽くまでも私の個人的考え、個人的に感じた事です。


こんな事を考えさせてくれた絵画作品を見て思ったのです。


実に絵とは、面白き、恐ろしきものかなと……。



ゴーギャンによる、「ひまわりを描くフィンセント・ファン・ゴッホ」

ロンドンナショナルギャラリー展図録より。



2019年12月20日

Title : アンリ・バルダ先生、その演奏についての私的考え


アンリ・バルダ先生の演奏会が終わり、少し時間が経つ。

その間、私のブログの方にも何度も先生の演奏や、今回の演奏会について書かせて頂き、記事をアップさせて頂いた。

今回は、20年余りピアノを師事して、日本とフランスでのリサイタルも聞かせて頂き、私なりにもう少し何か掘り下げて考えてみようと思い、認める次第なのです。



考えてみました。

まず、演奏について。


何故いつもこんなにスリリングな緊張感があるのか。

先生は、音楽を生み出す行為の演奏に対して、危険な程に純粋で嘘がない。

だからなのではないか。

過去の音楽を再現するのを潔しとしない。

今、ここで生まれてくる音楽を弾く。

例えそれが、準備していた解釈ではなくとも、今感じて、生まれようとする音楽を演奏する。

何故なら、それが本当の今の自分であり、その自分自身に嘘をつかないためには、その瞬間、思った通りの表現をする。

多分、何かを失うとまずい、なんて全く考えてはいない。

そこで今生まれる音楽の糸を紡ぐ事こそが、演奏だと思っているのだ。

こんな事、ステージ上でやるなんて、スリリングにならない訳がない。

これがアンリ・バルダ先生なのです。


もう1つ考えてみました。

あの圧倒的とも言える説得力は何処から。

演奏会と言う側面からも考えてみる。

アンリ・バルダ先生は、演奏会をどう捉えてえているのか。


一般的な捉え方と、かなり違うところにあるのではないかと私は思い始めていた。

ショパンなり、バッハなりプログラムで弾かれる音楽を通して、先生が語られる世界は、聴衆すべての人々に向けたオープンなものと言うよりは、閉ざされた、ある意味限定された人々に向けられた、非常に内面的な心情、メッセージに思えるのだ。

先生の人生を通りすぎる人、立ち止まる人、関わる人。

関係の浅い深いは、あるだろうが、その心の中にリンク出来た人々への静かなる強烈なメッセージを吐露する唯一の場所。

それが、先生にとっての音楽、ピアノの表現であり、場所が、たまたま舞台の上となってしまったと言う事ではなかろうか。

先生が作曲家なら、多分ステージには立たなくて良かったのかも知れない。

少し話を、ショパンの作品に移して違う視点で見てみたい。

ショパンのマヅルカを、先生はたびたびステージで弾かれる。

ショパンは、日記を書く様にマヅルカを作曲したと言う

自分自身の個人的な思いの丈を舞曲のリズムにのせて、多くのマヅルカを生み出した。

舞曲ではあるが性格小品的側面も強いマヅルカに於いて、何がこれらの作品を生み出す元、起爆剤となったのかを考えてみるのは、興味深いのではないか。

勝手な推測ではあるが、ショパンの人生、どうにもならない事象に対しての悲しみや怒り、又はその他諸々の些細な出来事などから起こるマイナーな感情。

そんな事も、マヅルカの日記的側面から捉えてよいならば、動機としては、案外あり得るのではないのだろうか。

ショパンの生きる日常にも、様々な出来事、時には酷く動揺する事件があっただろうと考えるには、想像に難くない。

例えどんなに悲嘆に暮れようとも、綿々とした嘆き節には、決して陥らないショパンの音楽、マヅルカ。

美しいものに昇華させればこそ、

マヅルカは、ノーブルなポエムと成り得る。

まさに先生の弾かれるマヅルカ。

交錯する思い、心情の吐露は、ある時には爆発するが、言い過ぎたと思えば、ふっときびすを返し、そんな事ないんだと優しい微笑みを悲しそうに浮かべる。

きっと始めから、自分を解って貰おうとは思ってはいない。

共感できるものを、同じような共感を持って受けとってくれる人がいれば幸いとする。

神経が細やかでありながら、感情の激しさも同時にあわせ持つショパンとアンリ・バルダ先生が、重なって見えてしまう。

アンリ・バルダ先生の演奏会と言うテーマに話を戻させて頂く。


私が感じる、あの圧倒的な説得力とは、何処から生まれているのか。

演奏会と言うステージに於いて、先生の演奏は、すべてを相手にすると言うのではなく、わかり合える相手だけに、嘘なくすべてを託す。

何か大切なものを得る為には、やはり何かを諦めなければ手に入らないと言う、究極の厳しい内面的選択を、計らずもしているのではないか。

逆説的な様だが、その事によって、圧倒的な説得力を持つ事になってしまった。

私には、そんな気がするのです。



不思議な事があった。

前回2017年のリサイタルで、先生がバッハを弾かれている時に、客席で聞いていた私は、一瞬だが、先生の日常の練習シーンを、垣間見た様な錯覚に陥った。

バッハの平均律1巻、最後のロ短調のプレリュード。

自分の部屋のピアノで、ステージ上の緊張もなく、本当にバッハの音楽を楽しみ弾く先生。

こんなにも長年弾きこまれたバッハだからこそ、先生と音楽との日常的な密な関わりが、知らない内に音の中に入り込んで、ステージ上のバッハでひょっこり顔を出した瞬間だったのっはないか。


やはり、音は、嘘をつかない。


蝋燭の光で、チェンバロを弾くバッハの時代から、人間が真摯に音楽に向き合っている瞬間は、いつかきっと永遠に通じる何かが生まれると、その時から私は思う様になったのです。




2019年11月8日

Title : カラヴァッジョ展を見て



正直に言いますと、それほど好きな画家ではなかったし、作品も多くを知らなかった。

かなり大々的な展覧会だし、頻繁に見れる絵画ではないから、行っておこうと思って出掛けた。



イタリアルネッサンスだと、ダ・ヴィンチの描く聖母子、聖人の人間離れした様な気高さのある美しさを見ていると、この画家の絵はかなりのショックでした。


同時代の作家の絵も、一緒に展示されていて、見応え十分だが、主題が、殉教とか、宗教のある非常にドラマチックなシーンを題材にしている絵が多いため、こう言っては何だが、流石に神経が疲れてしまった。


ただ、素人目にみても、カラヴァッジョは、その表現力や絵の技量においても、飛び抜けていると思った。


画期的だと言われるのは、描かれる聖人達が、本当に人間のまま。

美化するよりも、多分モデルの人間を忠実に描いたのではと思えるぐらいの人間ぽい描写。


洗礼者ヨハネの絵の前の椅子に座り、私はまじまじと聖人ヨハネをみつめたが、何処かで会ったような顔をしている気がした。

それほどの身近感は、当時きっと斬新だったと思う。


また、さらに斬新だったのは、暗いバックに浮かび上がる光のあたった部分と、バックとのコントラストが、さながら舞台上のスポットライトを浴びた主人公の様な劇場感を画面にもたらすと言う描きかた。


ただ、なぜか、あまり私には胸に迫るものがなく、どんどん足を進めて行った。



法悦のマグダラのマリア。

これには、やられました。

まず、画面のタッチが、際立って美しく、明暗のコントラストも劇的でありながら、自然。

悔い改めたマグダラのマリアが、その罪を赦され涙が一筋流れる。


キリストに罪を赦され、うれしいとか、ほっとしたとかの次元の気持ちの表現では済まされない状態なのが、否応なしに解る。

神に召されてもいいと言わんばかりの歓喜の瞬間。


通常の思考、行動する意識が、失われたトランス的な世界に入っているのかと思われる。

それほど必死な事だったのだ。

マグダラのマリアは、決して救われる、赦されるとは思っていなかったのだと思う。


音楽でも、演奏中、本当に必死な時、何かが起こる事もある様な気がする。


そんな瞬間を、劇的に、でも静かに描いたカラヴァッジョは、やはり天才と言われる画家だと思う。


結局、私にはこの一点だったのだが、それでも十分な感動をもらった展覧会だった。




Title  試金石となるピアノ曲とは、ごまかしのきかない曲と言う事でしょうか。

2019年11月7日


時々、全くモーツァルトを弾かない期間がある。

何となく触らなかったり、あるいは物理的に時間がなかったりとか、理由はいろいろあるかもしれない。

今回は、前者に近い。

何となく弾く気になっていなかった。

何か精神的理由が、あったかも知れない。

それが昨日、突然降りて来た。

こういう事があるから、助かります。

あっ、これいいかも!。

簡単に言うと、降りてきてくれるのは、こんなもの。

手に取った楽譜は、モーツァルトのソナタのハ長調、K.545です。

あの有名な、冒頭のメロディーがドーミソ シードレド。

子供でも弾けと言われれば、弾けます。

これが味噌……なのです。


大人は、面倒です。

いろいろなものを背負い、世の中の事情もわかってきて。

でも、それが大人なのかも知れないけれど。


話をモーツァルトのソナタに戻します。

K.545のソナタ、時々は、弾いていたのです。

好きですから。

でも、めちゃくちゃにこの曲は、ハードルが高かった。

安易に弾くと、そのファンタジーの貧しさに、御本人の中身が露見する。

かといって、こてこてに感情を盛りデフォルメすれば、古典派の様式から脱線しそうで、見苦しい。

表現は、心の中に、たっぷり満たしておいて弾きたい。


特に解釈に苦しんだのは、第三楽章だった。

長い間、私の中で掴み切れなかった。

吹っ切れたのは、昨年リサイタルで、同じくモーツァルトのソナタハ長調 K .330を弾いて、更に近づいた事があったのかも知れない。

この K. 330も、特に第三楽章が、よく掴めなくていた。

それが、 第一楽章がほどけて来たら、ある時、ほどけた。

これだけ苦労させてくれた曲、恩返しに、更に弾き込ませて頂き、リサイタルで弾いた。

この思いもよらない展開、弾こうと思わなかった曲を、リサイタルプログラムで弾く。


しかし、今度降りてきたK. 545 の方が、よりシンプルでごまかしはきかない。

ハードルは、雲の上かも知れない。


神様は、ちょっと意地悪ね。

こんなに綺麗で純粋なものを作って見せて、弾いてみる?なんて言っているみたい。

どうせなら、ベーゼンドルファーのフルコンサートか、インペリアルで弾きたいな。


試金石なんて言っては、いけませんね。

本当に弾きたいかどうかの問題なのだと思います。

それが、自分の心がはっきりと解るのなら、それは素晴らしい事です。

きっとそれが、答なのでしょう。

試金石、それは自分の心の中の答。





2019年10月15日

台風19号の爪痕が残る中、心よりお見舞い申し上げます。

この状況、なかなか気持ちが、落ち着かないのですが、自分自身をしっかりさせるため、少し以前から考えていた事を、かかせて頂きます。

ご容赦下さいませ。


Title          松方コレクション、ゴッホのアルルの寝室を見て感じた事。

アルルの寝室が、オルセー美術館から来ていた。

松方幸次郎氏が、購入した作品だが、第二次大戦の敗戦後フランス政府に没収されたため、今はオルセー美術館にあるという事である。

アルルの寝室は、3作品あり、どれもほぼ同じ構図、ただし色調は3作品とも全く違い、受ける印象も自ずから異なる。

オルセー美術館から来たのは、最後に描かれた作品。

黄色を主調にしているが、画業に専念する充実した落ち着いたゴッホの生活を、覗きみる気が、私にはした。

調べてみて驚いた。

最初の作品は、アルルに移り住み、ゴーギャンとの共同生活を夢みながら待っていた頃、1888年制作。

この絵は、ゴッホ美術館所蔵で、私は実際には見ていないが、写真で見る限り、何となく赤茶色のこもった感じの重い色調で、この限りでは、私には、希望に満ちた気持ちが高まって描かれたとは、思いにくい感じがする。

ゴーギャンがアルルに10月に到着して2ヶ月後に、あの有名なゴッホの耳切り事件が起き、ゴーギャンとの関係は、決裂する。

その後、いろいろあって最終的に、1889年秋、アルルから近郊のサン・レミ・ド・プロヴァンスにある修道院併設の精神病院に自ら移り、その部屋の中で、第一作目のアルルの寝室を模写したのが、第2作、第3作となる。

第2作目は、シカゴ美術館所蔵。

最後のこのほぼ同時期に描かれた2作品が、私には全く違うと言うか正反対の精神状態を思わせる。

第2作目は、写真からでも、不安定な精神状態が彷彿され、緑っぽい色調の部屋が今にも崩壊しそうな気配が、私にはする。

どちらかと言うと、内容的には、時代がもっと進んだ表現主義の絵みたいに感じる。

やっぱり、耳切り事件の影響かと、思わずにはいられない。

第3作目は、とても同じ環境で同時期に描かれたとは、思えないほど、画家の生活が、滞りなく営まれている日常が垣間見えるような静かさがある。

ゴッホが、扉からキャンバスを抱えて帰って来ても良さそうな空間。

ゴッホは、こんな生活を理想としていたのかも知れない。

外でキャンバスに向かい、家に帰れば静かに落ち着ける。

激しく繊細な神経は、休む所が必要だ。

私が、勝手に推測しているだけだけれど、全く画風が異なるゴーギャンとの、共同生活を彼がなぜ考えたのかは、多くの人が疑問に思うところだと思う。


アルル滞在中の、1年3ヶ月の間に、油絵を200枚描き、最後の地、パリ近郊のオーヴェル・シュル・オワーズでの滞在2ヶ月で80枚を描く。

この数もすごいが、中には傑作の星月夜のテラスとか、麦畑もある。

これは、神様の下さる一滴どころか、何滴もがゴッホに滴り落ちたという事ではないかなと、私は勝手に想像している。

その天からの雫で、ゴッホは凄まじい集中を持って、絵を描く事に生きていたのだと、私は思う。





Title     褻と晴れ。 銀座のご招待で、勉強し、考えた。

2019年9月7日


普段の生活、日常を「褻(け)」と言う。

それと対で、正式、おおやけの意味の「晴れ」と言う言葉が、ある。


ご招待があった銀座で、ミニトークがあり、その話にも言及されたので、考え、勉強になった。


グラフィックデザイナーの佐藤卓氏と、料理研究家の土井善晴氏との対話形式のミニトークです。


土井善晴氏の博識、多弁でユーモアを交えた華やかなトークに、佐藤卓氏が、鋭い直感が感じられるコメントをはさみながらも、落ち着いた進行を進めて行く。

そんなトークでした。


佐藤氏は、ケの美と言う本を書かれていて、日常の美と言う事なのだろうか。

私は、まだ読んでいないが、興味深い。


お二人のトークから、普段気になっていた、「褻」と「晴れ」について知ろうと思った。

褻と言う難しい漢字を調べてみた。

文字の解釈としては、衣と熱の略字で、身近く、ねばりつくとある。

漢字の意味は、肌につける普段着、体に着けてよごす、けがれる、とある。


私は、文字を調べてみて、少し納得した。

確かに、日常とは、そんなものだ。


身体の汚れ、延いては心のけがれを、日本の美意識は、どの様に捉えていたのか。


神社にお参りする時には、手水で手を清め、口を濯ぐ。

お参りする時、毎回お風呂に入って来てからの参拝を、この手水で清める事に代える事を、神様にご容赦頂けるなら、お参りもしやすい。


(私は、日本神道については、全くの素人ですので、これは、個人的な解釈です。ご容赦の程を。)


ただ、ここで手水を使う事により、心の褻も流してお参りするなら、尚更美しい。


実際に、その行為を通して、そんな気持ちになる。


神社にお参りすると言う日常的な行為を、褻を払う簡単な儀式として手水を行い、晴れの形にする。


もしそうなら、手水は、なんと無駄なく美しくデザインされた「晴れ」への行為だろうか。


日本は、水の豊かな国。

この手水の行為の、象徴性は、この国土の自然が土台になっているような気がする。

(晴れの有楽町 ↓ )

更に調べてみた。


民俗学的には、日常生活を行うためのエネルギーが枯渇するのが、「ケガレ」(褻枯れ)であり、「ケガレ」は、「ハレ」の祭りなどを通して、回復すると言う学説があると書いてあった。


日常が順調にいかないと、「気が枯れる」とも言うらしい。

晴れの祭りで、気を良好にするために、悪い気を払うのですね。


褻を気の漢字に変えると、何だか解りやすい。


私も、時々発散したくなる。

別に、お祭り好きと言う訳ではないが、やはり知らない内に日常的に、心の何処かにゴミもたまる。

日常を忘れて全く離れた事をしてみるのも、案外、これは人として、必然なのかと思った。


銀座に出掛けてみて、面白い勉強のきっかけ、頂きました。

(夕方の銀座  ↓ )






Title      伝説のカストラート ファルネッリ

     その頃スペインには、スカルラッティが


2019年7月31日


1994年制作の、ベルギー、フランス合作の映画カストラート。

原題は、ファルネッリ。

この映画、きっとご存知の方も多いと思う。


ファルネッリとは、実在した男性歌手で、1705年生まれ、最後は、故郷のイタリアに帰り静かな隠棲後、1782年に亡くなったとある。

素晴らしい歌声で、その声の音域は、3オクターブにも及んだ。


ナポリで、1720年デビュー後、ロンドンに渡り、幾多のヨーロッパの公演では、多くの女性が失神したという記録があるという。


1737年に、スペインのフェリペ5世が招き、それから20年間、王室歌手として滞在した。


滞在中、スペイン王はフェリペ5世から、1746年にフェルナンド6世に、代が変わる。


このフェルナンド6世のお妃となるポルトガルから来たお姫さまが、チェンバロを習っていた先生も一緒に連れて来てしまう。

これが、なんとあの、スカルラッティなんです。


ですから、スペイン王室は、歌手にファルネッリ、チェンバロにスカルラッティを、同時期に抱えていたのですね。

なんと豪華な事でしょうか。


フェルナンド6世は、憂鬱気味で、よく眠れないとファルネッリの歌声を、部屋で聞いたそうです。


実際、憂鬱になるような事も、調べたら、ありました。

1757年にスカルラッティがマドリードで亡くなると、ポルトガルから嫁いだお姫様、マリア・バルバラ王妃も次の年に亡くなってしまいます。

そしてフェルナンド6世は、その次の年に亡くなり、ファルネッリはその年、1759年にイタリアに帰る事になるのです。


でも、10年以上も、この二人がいたスペイン王室の音楽界は、きっと素晴らしかった事でしょう。



ここからは、映画の話です。


YouTubeで、断片的に映画がアップされています。

私は、封切りされた時に、映画館で見ました。


YouTubeで、たまたま忘れてしまっていた部分を見て、演奏会で、こんな事が、こんな人にもあったのかと思い、愕然としました。


映画なので、事実かどうかはわかりません。


これ程、当時名実共に評価を得て、人気のあった声楽家、その公演中の出来事。


カチャッという、カップをお皿に置く音が響き、ファルネッリは歌うのを、止めます。

何だ、何だと観客はざわつき、音の主を、ファルネッリのじっと見つめる視線の先に見つけます。

バルコニーに、一人の貴婦人が、カップでお茶を飲みながら、分厚い新品らしき本のページをめくっています。

そのページをめくる音も、ホールに反響してしまう。

当然、歌声は耳に入ってはいなかったでしょう。


突然の静寂に、はたと気が付き、回りを見回し、自分の行為が演奏を止めてしまった事を理解する。

するとファルネッリは、再び歌い出し、そのタイミングで指揮者の兄はオーケストラを合わせる。

こんなシーンです。


演奏会場となるホールは、本当に音が響きます。


ましてや、声楽という、とてもデリケートな感覚の行為をするにあたっては、この話は信じがたい。


私は、声楽ではなく、ピアノだけれど、あまりこういう経験の話は好きではないし、したくもないのですが。

歌うのを、カップのカチャッの音一つで止めて、その音の先を凝視するファルネッリの気持ちは、私は、痛いほど解る。


自分を責めるよりも、演奏家は、何があっても、気持ちを切り替えて上手く集中するのが、一番です。





Title     京都に住んでいた頃。   日本のセンス、感覚。


2019年7月30日


子供の頃、京都に住んでいた。

小学生の高学年で、野山でよく友達と活発に、走りまわって遊んでいた。


ピアノの先生は、岡崎の平安神宮のそばにお住まいで、だいたい日曜日に、父親が車で連れて行ってくれていた。


今思うと、何だか贅沢な、環境だったと思う。

京都の神社仏閣、選り取り見取りでお参りできる。

両親は、あちこち出掛けていたけれど、私はあまりついて行かなかった。

どちらかと言うと、レッスンから解放されたら、早く帰って遊びたかったほうだったと思う。


後年、大人になって働くようになってから、奈良の神社仏閣を見てまわる楽しみを見つけ、奈良市内の神社仏閣、あちこち出掛けて訪れいた時期はあるには、あるけれど。


京都では最初は、北野、紫野あたり、北野天満宮や、玄武神社があるあたりに引っ越す話だった。

が、しかし住居の関係で一転して、東山のあたりになった。


実は、ここからは、最近の話なのです。


毎年夏に、神戸にピアノのレッスンを受けに行くようになった。

六甲ミュージックフェスティバルで、アンリ・バルダ先生のピアノレッスンです。


何年か前、新幹線で神戸に向かっている時、定かではないが、岐阜から京都の間ではないかと思う。

山沿いの野原に、虹が地面近く、接地しているみたいに出来ているのを、何度か、見た。


初めは遠くだが、虹の位置が低いので、野原の上に、虹の両端が地面近くからできているかも知れないと思った。


次、二度目、少し近い。


三度目、新幹線の真横の野原、虹が出来ていた。

かなりの至近距離で見る。

両端は、ぼやけてはいるけれど、地面近くからのぼっていた。


調べてみたら、珍しい現象らしいです。


その時私は、何だか虹が私を追いかけているみたいだと思ったのです。

虹の曲線が、白蛇か、竜みたいです。


何かの前触れかと思いましたが、神戸では、無事レッスンを受けて帰って来ました。


新幹線が京都に向かっている時に起きた事なので、念の為、もう一つ調べてみた。


京都は、東西南北を守る神様がいらっしゃるのですね。

北は玄武、東は青竜、西は白虎、南は朱雀。

玄武は、亀に蛇が巻き付いている神様です。


虹が蛇だったら、亀も一緒にいるはず。

私は水槽の中の小さな亀以外、見た事がないのですが、この2年程毎年、6月になると道路の端に出て来ているのを目撃してびっくりした事がある。

これが、多分野外で見た初めての亀だと思う。

近所のおじさんに尋ねたら、この辺は、いっぱいいるわ、と簡単に言われてしまいましたけれど。


私は新幹線で京都へ東から入ったから、守り神は青竜。


虹が、何なのかよくわからないけれど三度も不思議な現象だと思った。


京都の玄武神社のある紫野には、引っ越しはしなかったけれど、名古屋の蝮ケ池神社は、以前お参りさせて頂いた経緯はある。


別に、不思議じゃないと人に言われれば、そうなのでしょうが、どうも自分の感じでは、不思議なのです。

亀の方には、最近まであまり縁はなかったから。


良い意味で、考える事に越した事はないでしょう。


日本は、自然と神様が一体化する感情があるから、何となく不思議な事があっても、心の作用として、あっあれは神様よ、見たいな納得が案外自然に出来てしまう事がある様な気がする。


こんな、デリケートで、理屈では解らない感覚、 日本独特なものかもしれない。


でも、こんな些細なとも言える感情、感覚が本質に関わる事もあるのではないか。


それなら、繊細な感覚、研ぎ澄まされた美意識が日本の文化、芸術を培った日本のセンスの根底にあるのかも知れないなんて思うのは、考え過ぎかしら。


私は、西洋の音楽を勉強していますが、自分の感覚、大切にしたいと思います。



Title   表現の持つ大きな力は、何処から

     クィーンのフレディー・マーキュリーからサンソン・フランソワまで


2019年6月11日


最初に説明からで、既にご存知の方には恐縮ですが、クィーンと言うのは、イギリスの伝説的ロックバンド。フレディーは、ヴォーカル担当。

サンソン・フランソワは、フランスの名ピアニスト。

パリ音楽院時代は、その才能から、ジャン・コクトーの小説の題名の「恐るべき子供」などと呼ばれた。



私は、本当にクラシック音楽一筋にやって来て、でも子供の頃は、ビートルズは、よく知っていてその音楽が流れてくれば、喜んで聞いていると言う感じの子供でした。


そんな程度でしたが、かなり大人になってから、この伝説のブリティッシュ・ロックスター、フレディーの歌を聞いて、強く胸を打たれてしまいました。


勿論、まずは、ボヘミアン・ラプソディー。

歌詞の内容も然ることながら、こんなに最悪な逃げられない事態に陥った、心の嘆きを歌う、その切実な表現に、心を打たれてしまいました。


この歌、後半はかなり過激に変化しますが、冒頭のピアノの弾き語りの部分が、ある意味ブリティッシュ・アリアだと思いました。


このフレディーの歌を聞いて、以前、ロシアのピアニストに、最初の、第1音から、その曲の中に入って表現された音を出しなさいと教えられた事を、思い出しました。


最初の第一声、第1音の大切さは、どんな音楽にも共通だと思います。


表現と言うものは、その人そのもの。

解っていなければ、そのまま現れます。

嘘や、まやかしも同じ事です。

必死で、自分の真実を探さなくてはなりません。


時々、音楽家がクレイジーと言われるのは、そんなところから来ているのかも知れません。


この人フレディーは、いろいろと言われた事もある人でしたが、私の知る限りでは、音楽において、その表現には、嘘のない説得力があると思いました。

ここからは、クラシック。


サンソン・フランソワに、なかなかすごい録音があります。


ショパンのピアノコンチェルトの1番ですが、以前アンリ・バルダ先生に、「この録音を知っているか?」と聞かれて、「はい、知っています。私は、この演奏、好きです。」と答えた事があります。


ショパンのこの1番のコンチェルトは、オーケストラの序奏が長く、この録音では、どういう事情かは解らないけれど、その序奏が、流れとして上手くつながってはいますが、部分的に大幅にカットされてしまっています。


オーケストラの演奏も、テンポも少し速めで、表現も少し強いかなと、思われる感じ。


私は、そう言う事は抜きで、このフランソワの演奏が好きだったから、その辺は、あまり気にならずと言うか、彼が、その瞬間に、感じたままやってしまった結果、この様な演奏になったのだと思っていました。


でも、何かあったのかも知れません。


序奏の後、素晴らしいピアノのソロが始まる。


何が、驚くかと言えば、テンポが全くオーケストラの序奏と違い、かなり遅く弾いている。

表現は堂々として素晴らしいのですが、明らかに遅い。


でも、表現の迫力に押され、テンポが違うわなんて、何処かにいってしまうほどで、私個人は、自分の表現を貫いたなと思っていました。


でも一般的に、あまりない事です。

普通、打ち合わせをしますから。


素直にずっとフランソワが、その時、こう弾きたかったからこうなったのだ。

それぐらいの、素晴らしい迫力、説得力がある。


その辺の考えが、最近ちょっと変わり、ひょっとして本当に何かあったのかも知れないと思ってしまったのです。


まず、どんな事情であれ、オーケストラの序奏を割愛するのは、聞いた事がないし、演奏の表現も何だか硬いと思える。

余程、特殊な状況だったのかも知れません。


でも、このフランソワの、逆境とも思える状況での演奏が、素晴らしい。


序奏に対峙する強い意志、その後続く切々たる思いを、1楽章の中で、これでもかと言わんばかりに、歌い、訴える。


さすがにテンポは、序奏後のピアノソロ以降は、オーケストラと合わせて、テンポをもどしてはいますが。


そして、2楽章、3楽章と進むにつれ、だいぶんと落ち着きは取り戻されて、軽快な表現も見られる様になります。


この演奏を聞いて、私の数少ない経験からでも、少しは解る事があります。


人は、困難な時、表現手段があれば、気持ちを吐き出せます。


状況が、ひどくなればなるほど、強く訴え、音楽はそれを受けとめてくれます。


そして、そこに真実があれば、音楽は心を打ち、美しいのだ、と思います。


そんな事を、この演奏を聞き、自分の心に照らしだして考えさせられました。




Title  大好きな作曲家の、でもちょっと苦手な曲...ドビュッシー


2019年6月5日


私が、まだ子供の時、クラシック音楽でよく聞いて何か強く心に焼きついているのは、まずショパン。

別れの曲とも言われる練習曲の中の一曲。


中間部の減七の和音がこれでもかと続く部分は、聞いていて怖さを覚えるほどだった。

子供には、強烈な色彩の訴える意味が、まだよくわかってはいなかった。


そのかわりと言っては何ですが、レナード・バーンスタインのウェスト・サイド・ストーリーはうろ覚えの歌詞で楽しんで歌ったりしていた。


次に、とんでもなく魅せられたのは、シューベルト。

子供心にも、この甘美な世界は地球上のいったい何処に在るのかと思った。

ウィーン少年合唱団の歌う、菩提樹、鱒の清らかで甘美な世界は、素直に私の心を憧れで満たした。


最後に目から鱗と言うほどの衝撃を受けたのは、ドビュッシー。

初期の作品のアラベスクで、まずびっくりした。

それから今までずっと、少しずつ手を伸ばして勉強する事になる。


最近、ドビュッシーの名手であるワルター・ギーゼキングのCDをよく聞いている。

ギーゼキングは、ドビュッシーのピアノ曲の全曲録音をしている。

本当に上手いなと思いながら聞き直してみて、何だか面白い事に気が付いた。


実はドビュッシーのピアノ曲作品でも、私はどうも苦手で、好きになれない曲がいくつかある。

お好きな方がいらしたら、ごめんなさい。

好き嫌いの話だから、致し方ないとご理解頂けると思い、書かせて頂きます。


あの有名なベルがマスク組曲。

月の光以外は、どうも好きになれない。

練習は何度となくした事はあるけれど、止めてしまう。


私の嫌いな曲をギーゼキングが見事に弾くのを聞いて分かった。

やっぱりこの曲、好きではない。


なぜか?


あんまり、ドビュッシーらしくない。


私の考えるドビュッシーの凄いところとは、主題にするところの物、あるいは者の、彼なりのさりげなくも鮮やかな料理の仕方。


いったいあなたは、昔は何だったのと言いたくなるぐらいに見事に変えてしまう。


極端な事を敢えて言うならば、もし死が、ある時、彼の目の前を横切ったならば、彼は瞬時に死を音階に変えてしまう様な事をしてしまえる気がするのだ。


その鮮やかさから見ると、私の感覚からでは、ベルがマスク組曲の、特にプレリュード、メヌエットは、楽想が変わる度に何処に行きたいかよくわからないうちに、また何かに変わり何処かに行くと言う感がする。


ギーゼキングは、この辺を自然に、考え過ぎず、無理な説得をしないで、気持ち良く過ぎて行く。


作品の内容を良く把握しての演奏と言う事なのだと思う。

本当に凄いピアニストです。


こんな事を書いたけれど、私など、ドビュッシーを語るには、100年早いわとの自覚もありますので、どうぞ容赦下さいませ。

これからも、作品を勉強しますから、ドビュッシー様、どうかよろしくお願い申し上げます。


可睡斎ゆりの園 ↓



Title パリのリヒテル、静岡のバックハウス


2019年5月25日


パリの地下鉄のクレベール駅から歩いて少しのところに、ヤマハのアーティストサービスがあり、よくそこでは、レッスンやら、練習やらで、お世話になった。

その場所から、オペラ座ガルニエ宮のすぐ横のスクリーブ通りに移転、今、パリにはそのオフィスはないので、寂しい限りだ。

アンリ・バルダ先生には、クレベールの旧オフィスの方で、コンチェルトのレッスンをして頂きました。

そこには、あのリヒテルが練習で愛用していたヤマハピアノが戻っていて、リヒテルのピアノと呼ばれていた。

何度も通っているうちに、事務所の美人秘書のアレクサンドラが、教えてくれて、弾いてもいいわよとの事で、私はそのピアノで、ある時期から練習していた。

バルダ先生に習った時も、確か、そのピアノを弾いたと思う。

なんと、贅沢な話。

ただ、当たり前の話だか、かなり弾きこまれていて、音色などは、硬くなってしまっていた。

一人で、練習している時、なかなか思う様に反応しないから、やっぱりこの楽器、私には無理かな、あるいは、もう死んじゃったのかな、なんて思った。

違うのです。

それは、モーツァルトだったけれど、ほんの一瞬だけど、私の弾くフレーズが、変わった事があった。

えっ、私こんな事やった事ないわ。

でも、なかなか渋くて、いい感じのフレーズ。

リヒテルに、教わった気になりました。

諦めては、だめ。

それでも何とかしようと、どこかで信じていたところを、リヒテルのピアノが、ちょっと助けてくれた。

愛用していたものには、何か宿るのかも知れない。

私が言うのも、おこがましいけれど。

去年の静岡の掛川でのリサイタルでは、バックハウスの所有していたベーゼンドルファーのインペリアルを弾く機会を得た。

私は、このピアノで、リハーサル練習を何度もさせてもらいました。

本当に素晴らしいレッスンを、このピアノに、してもらった。

地平線をもっともっと、遠くに広げて、いろいろな可能性を見せてくれる。

二時間、このピアノでと言うか、この人と練習したら、くたくたになります。

めちゃくちゃに楽しいですけれど。

以前、ベーゼンドルファージャパンの事務所が静岡の磐田にあり、そこに、サントリーホールから戻ってきた、インペリアルがありました。

実は、この事務所でこのインペリアルで、2004年に演奏会をさせて頂きましたが、このピアノも百戦錬磨の好きなタイプでした。

モーツァルトなんか弾いていると、我を忘れます。

膝の上に、ハンカチをのせていたのに、落ちたのにも気付かない。

ピアノとの、相性とは、こんなもの。

人間と一緒ですね。


近所に咲いていたバラ ↓


Title バロック音楽とピアノ


2019年5月18日


大学の時、二年生から三年間、チェンバロコースをとる事ができた。

先生は、井上道子先生で、チェコスロバキアで、ズザナ・ルージチコヴァについて、勉強された方です。

ご主人は、もう亡くなられましたが、ピアニストのヤン・ホラーク先生です。

毎年実技試験があり、各学年2、3人しか、とって頂けないので、このコースを受けたかったら、春休みは、しっかり準備しなくてはなりません。

私は、せっかく大学に入ったからには、できるだけの事をしようと思ってやってみたのです。

でも、やっぱりチェンバロがバロック音楽が、好きだったのだと思います。

大学の楽器博物館は、とても充実したものでした。

一台のドイツ製の素晴らしいチェンバロがありました。

ノイペルトと言う製作会社だったような気がしますが……。

ちょっと確かではありません。

ピアノで言えば、フルコンサートピアノに匹敵するものでした。

これで、時々レッスンを受けたり、運が良ければ練習時間の割り当てなどがある。

私なんかは、これが弾けるなんて時には、まあ狂喜乱舞でした。

ピアノとは全く逆の良い意味での金属的な華やかな、圧倒的な音色。

今でも出来るのなら、この楽器、弾きたいわ。

我を忘れてしまいそうに楽しかった。

なんだか、思い出話に、なってしまいましたが……。


ウィーンのベーゼンドルファーと言うピアノがありますが、とても豊かな音色、響きを持っています。

去年は、この楽器の最大サイズのインペリアルを、リサイタルで弾き、バロックも弾きました。

音の扱いには、神経を使いましたが、好きなご飯を好きな器でたべると言う感じで、本当に嬉しかった。

バッハだって、ラモーだって、古楽器のチェンバロでも、現代のピアノでも弾いていいじゃないかと私は思う。

古い時代の事は、知っている方が、いいけれど、あまりこだわらずに、まず弾いてバッハなりラモーなりの世界を知る方が楽しい。


ピアノを弾く、音楽をすると言う事は、そのなかで如何に、自由になれるかと言う事なのではないかと思う。

バッハの世界は、宇宙。

ラモーの世界は、人間の世界に鮮やかに挑みかかる美。



Title     お知らせ


2019年5月10日

先日、アメーバでブログを始めました事をお知らせ致しましたが、そのリンクのアドレスはつぎでございます。

https://ameblo.jp/haruko-tanaka


この記事の下記の写真をタップして頂いても、田中晴子のブログに行けます。


お知らせが、後先になりました事、申し訳ありませんでした。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。



Title       フェルメールの絵画展を見に大阪へ行った


2019年5月8日


4月初旬の事だが、フェルメール展を見に、大阪市立美術館に行ってきた。

大阪の前に東京でも開催していたけれど、時間指定入場が、いまいち面倒で、どうしようかと思っているうちに終わってしまい、大阪でも開催してくれていて、本当に助かりました。

長蛇の列かと覚悟していたけれど、並ばずに、すんなり入れて、逆に呆気にとられた感じです。


作品数が少ないので有名なフェルメール、全35点のうち5点はニューヨークのメトロポリタン美術館にあり、アメリカに住んでいた頃に一度見に行った。

何年か前に牛乳を注ぐ女が来日した時も、東京に見に行った。

そういえば、真珠の耳飾りの少女も、かなり前に、初来日の際に、名古屋に来たから行きました。

結構、オタクっぽく追いかけてるかも知れないわ。



でも、私が何といっても好きなのは、この2点です。

一つは、ウィーンの美術史美術館にある、絵画芸術。

2004年の来日の際に、夏に神戸市博物館で見ました。

丁度その時、六甲ミュージックフェスティバルで神戸にいましたから、神戸は文化のセンスがなんといいのだと、大喜びして見に行きました。

もう一つは、パリのルーヴル美術館にある天文学者。

これは、もちろんパリにアンリ・バルダ先生のレッスン受けに行った時に、見ました。

…………今書いていて気がついたわ!

両者とも、偶然にもバルダ先生のレッスンとセットだったわ。

確かバルダ先生も、神戸市博物館に行かれて、絵画芸術を見られている筈。

お友達の庵原さんがお連れしたのかなと思っています。


絵画芸術なんて変わったタイトルですが、なんてことはない、画家がアトリエでモデルを前に制作中と言う情景です。

今、改めて解説を読むと、いろいろな寓意が示されているそうですが、私はあまりその辺は、よく知りませんでした。

と言うか、兎に角、見たい一心で出かけたのです。


この画家がアトリエで制作中のワンシーンと言う絵。

鑑賞者は、片側に引き寄せられたカーテンのこちら側からアトリエを覗き見るという日常的な設定。

そして、画家は、鑑賞者に背を向けキャンバスに向かい、モデルは、立ってこちらを向いてはいるものの、眠っているかの様に眼を閉じている。

こんな設定なのだけど、不思議な事に、私はこの絵を見た時、何にどう感動したか説明ができないほど、絵から受ける強い思いに眼が熱くなり、涙がでそうになりました。

ひょっとしたら、絵に込められた深い悲しみ、懐かしい思い、きっと絵の中で何かその強い思いがまだ生きていたのかも知れません。


フェルメールの絵の凄いところ、その絵の中で、時間が止まっている。

しかし捉えたその瞬間は、その絵の中で、まだ生々しく生きていて、見る者の心を強く打つ。

それを可能にしているのは、あれほどまでに静謐な絵画に込められた、時間と空間を超えるまでの余りにも強い画家の気持ち。

それは、悲しみなのか、愛なのか。



ルーヴルに行った時も、遠くからこの天文学者を見つけ、これも不思議な感覚なのだけれど、気分が、すこぶる良くなったのを覚えています。

変な例えで恐縮ですが、散歩中に、突然神様に出会った感じ。

えっ、それならこの絵の中に、神様が入っているの!

まさか!それなら、御守りにして持って歩きたいわ。



そんな訳で、せっかく出掛けた大阪市立美術館で見た絵については、いっさい触れなかったのですが、フェルメールについて、こんな事を考える良い刺激、きっかけになりました。

美術館の周りは桜見の人が一杯で、かなりお酒も入った方々も身受けられ、賑やかでした。

オランダ絵画の展覧会と言う事で、大きなミッフィーちゃんも近くでお出迎えしてくれて、何とも楽しい雰囲気でした。

こんな嗜好の凝らしかたなど、大阪での文化も楽しめた旅行でした。



大阪市立美術館手前でお出迎えのミッフィーちゃん。↓

大阪市立美術館エントランス   ↓

大阪展のみ特別展示 「手紙を書く女」 ↓

手紙を書く女のメイド風に立ってみました  ↓



2019年5月7日

お知らせ

この度、田中晴子オフィシャルサイトの雑文ページ の

‘‘miscellanea‘ を、更にカジュアルにした感じでブログを近日中に開設させて頂く事に致しました。


昨年春に始めました私のオフィシャルサイトですが、雑文集のmiscellaneaは、リサイタルの準備中の緊張などを緩和したくて文章を書き、発散するのが目的でした。


一年と少し経ち、カジュアルな感じと、真面目に考えをまとめる感じのものとニ手にしてみようと思いました。

今までのオフィシャルサイトの方は、中心に音楽を据えながら、周りのいろいろを絡めて、ほぼ真面目に書こうと思います。

新しく立ち上げたブログは、気軽に書こうとおもいます。


タイトルは、

田中晴子のブログ La vie quotidienne です。

意味は、そのまま、日常の生活と言うのを、フランス語にしただけです。

どうぞ、これからも宜しくお願い申し上げます。


ブログの表紙に使おうと思う写真です。 連休中に旅行した時に撮りました。

東京迎賓館の傍にアザミが咲いていました。 ↓



2019年4月20日 (4月18日の文章の続編です)

次に弾く曲が問題だった。

ラヴェルの夜のガスパールから水の精、オンディーヌだ。


全く割りきって、違う流れとして弾いてもいいのだが、それは避けたかった。

バッハとラヴェル、あれこれ混ぜた感じのパッチワークはあまり好きではない。

何か精神的な気持ちのつながりを持って、全体を弾きたかった。

自分の心の奥底に、最初は明確ではなくとも、これら3曲を弾きたいと思った何かが、きっとあるはずだと思うからだ。

この曲は、フランスの詩人ベルトランの詩に基づいていて、曲の流れもほぼ詩の内容に沿っていると言われている。

(ベルトランの詩は、夢幻的で怪奇的。ボードレールに高く評価された。)


私も初めは、曲の作りは詩に沿った流れなのかなと思っていた。

実際、曲の始まりは詩の内容を彷彿させる。

窓ガラスをオンディーヌが雨でぬらす様にたたき、囁く。

聞いて、聞いて、私よ、オンディーヌよ。


そしてクライマックスを過ぎ、曲が終わろうとするほぼ最後の1ページで、オンディーヌの誘いを受けた男はその誘いを静かに断り、

………私は命あるものを愛する……

と、オンディーヌに告げる。

オンディーヌは、豹変して泣き叫ぶ、或いは高笑い。

そして、波間に消える。


この2つの場面は、正に、その通りと言っていいのではないかと思うくらいに、詩の内容にぴったりの素晴らしいピアノの表現になっていると思う。(ただ、詩では、少し涙を流してから、高笑いをして消えるのだが、ラヴェルは、一気に態度が変わるような表現をしている。)


じゃあ、これだけ忠実な部分があるなら、他の部分はどうなのか。

真面目に一度考えようと思い、

私は、この2シーン以外の、詩の中間部分において、詩のどこに、ピアノのどのパッセージが対応するのかと考えてみたが、そういう限定的な事をする事自体、あまり意味がない。

そんな不自由な事はないわ、そんな事ラヴェルはしないわよ、との考えに行き着き、その細かい作業は止めてしまった。

多分、詩のこんな感じが、このあたりみたいな、あまり厳格にする事はないと思うのです。

そして、詩にぴったりの表現の2つの場面を尊重して、オンディーヌの悲恋物語と思って弾いていたのです。



ここから、少し脱線気味になるかもしれません………。

でも、よく考えてみると、好きな男の人を王様にしてあげると言って湖の底に誘うって、それは、男の人、人間なら死にますよ。

怖いです。


童話とか、時々随分と残酷な話がありますが、内容はそれに近いです。

アンデルセンの人魚姫の逆パターンです。

アンデルセンでは、人魚姫は自分が海で助けた王子様に会う為に人間にしてもらいますが、その条件が凄い。

貰った足は、歩くと物凄く痛いが我慢、声は奪われ喋れない、そして念願の王子様と結婚出来ないと海の泡となり死んでしまう。

人魚姫にしてみれば、条件が悪すぎる。

喋るというコミュニケーションツールなしで、結婚までもっていかなきゃならないなんて。

私なら………自分これ無理ですわ……と言いたいです。



話を本題に戻します。

オンディーヌ、男の魂を奪ってどうするつもりなのだろう。

でも、人の生と死の話なら、今回、バッハからの流れで演奏するには、つながりができるけれど。


でも、なんだかそんな事を考えて弾いているといやになってしまったのです。

曲は、弾いていて素晴らしく美しいのに、私は、オンディーヌの様に成りきれない。

これは、私が超真面目か、バカか、の問題になる。


私にとって弾く事は、楽曲が好きで、楽曲は理解しあえる仲間と言う関係。

自分を投影できるもの。

男の人の魂を上手に奪うには、私は、まだ鍛練が出来ていないと言うか、無理だわ。

想像はできても、好きじゃない。


これが、辛かった。

曲は、限りなく美しいが、中身のオンディーヌは、嫌い。

なんだか矛盾しているが、こんな心理状態だった。


そんな時、丁度本番10日程前に、突然ギックリ腰になった。

オンディーヌが、私を湖の中に連れて行こうとしたのかどうか。


こんな目に合えば、私も考える。

健康が第一。

ラヴェルには、申し訳ないが、話をハッピーエンドに作り変えた。


あまり、詳しくは書かないけれど、簡単に。


オンディーヌは、人間になりたい優しい人魚。

人間になれたかどうか、それはわからない。

様々な試練、心の葛藤。

神様はオンディーヌの美しい魂、espritを受け入れ、助けた。

オンディーヌは、死んだかもしれない。

でも、オンディーヌのesprit、魂は、光を反射していつも水面でキラキラ輝いている。

それは、永遠かもしれない。




水の精の置物。 

妖しい表現もあるけれど、これはちょっと違う感じです。 ↓

ヴェルサイユ宮殿の庭の噴水(部分) ↓

ヴェルサイユ宮殿の庭の噴水(全体) ↓



2019年4月18日

今日も、御多分に洩れずいつもの様に夜中に文章を書いている。

でも、ちょっと普段と違うのは、ホームベーカリーでパンを焼いていた。

ここ一年ほど、パンを焼く気になれず、愛用のホームベーカリーが可哀想だった。

美味しいパンのにおいがするのは、久し振りで、うれしい。


先月3月3日に、武蔵野音楽大学の同窓会主催のコンサートでバッハとラヴェルを弾いた。

その時に曲について、いろいろ考えた事を書いてみる。


バッハは、平均律集第1巻のプレリュード変ホ短調と変ロ短調を弾いた。

この2曲は、プレリュードの中でも、内容が格段に深くて濃い。

扱っているものが、人間の根源に関わる生と死だからだと私は感じる。

永遠のテーマであるだろう、例えば、永遠の命についてなど、どんな時でも、軽々しく扱えないのは、当然の話だ。


バッハは、答えない。

私も、答を知らない。


ただその曲が語る物語の中に何かを見つけようとして、行き着く先にそれはあるのだと思う。

なんだか禅問答みたいな言い方になってしまったが………。

でも、それを見つけないと自由にはなれない。

それが曲に対する解釈だから。


私は、変ホ短調のプレリュードのほうがより観念的な死を描いてあるように感じる。

そして、変ロ短調のプレリュードは、より現実に近い死をそこに感じる。

不思議な事に、観念的な変ホ短調のほうの曲に、私は物語性をより強く感じるから、面白いものだなと思う。


ここまで書いたら随分と遅くなってしまい、ラヴェルについては、いったん寝てからにします。


サンスーシ宮殿内部 ↓

ポツダムに有る宮殿だが、サンスーシとはフランス語でsans souciと綴り、気楽にとかのんきにという意味。でも直訳では憂いの無いという意味になります。



2019年4月17日

また、日付をまたいで夜中になってしまった。

昨日16日朝、起きてスマホのネットニュースでパリのノートルダム大聖堂の火災を知った。


嘘かと思った。

嘘であってほしかった。


昼のニュースのテレビをつけて、大聖堂の尖塔が焼け落ちる映像を見た。


ニューヨークの9月11日の事件を思い出し、ぞっとした。


消防などで怪我をされた方もいたとの報道があったが、人命が

損なわれなかったのが唯一の救いだと思った。


日本も自然災害に見舞われる事の多い平成の時代だった。

何もできないかも知れないけれど、自分のできる事を一生懸命やろうと思った。


私は、何度もパリに行ったけれど、実はノートルダム大聖堂の中には、入った事はない。

大学を出て数年後にザルツブルクに行き夏期講習を受け、帰りにパリに寄ったのが初めてのパリ行きだった。

その時は、一人で大聖堂の前になぜか立ったまま。

入らなかった。

内部のバラ窓と言うステンドグラスの窓がとても綺麗だと一緒に行った大学の同窓生のみんなが言っていたのを覚えている。


パリの1区にサントゥスタッシュ教会がある。

アメリカにいた頃、クリスマスにパリに来て、この教会でこっそりミサに参加した。

出入り自由で誰も咎めもしない。


モーツァルトが神童と言われていた頃、パリに旅行で来た際に弾いた立派なパイプオルガンがここにはある。

ミサの最後にパイプオルガンの演奏があり、メシアンを聞いた。

何の曲かは知らなかったが、感動的な時間だった。

なんだか、いいクリスマスプレゼントをもらった気がした。


パリは、芸術の都、文化の街。

ここは、フランス人、マクロン大統領、しっかり根性をみせて、大聖堂をreconstruireして下さい。


注:reconstruire……再建する、復興する、作り直す

(マクロン大統領がこの言葉を使ってインタビューに答えていました。)



ノートルダム大聖堂のバラ窓  ↓



2019年4月5日

お知らせ

先月最後の日、3月31日にユーチューブにアップしている演奏動画の曲名に日本語の翻訳もつけました。遅くなってしまいましたが、解りやすくなったと思います。予告から、2ヶ月ほど経ってしまいごめんなさい。

たまに、ご覧頂けますと、嬉しいです。


やっと、4月になった。


またバッハの話です。

最近、マタイ受難曲を聞いています。

1954年ウィーンでのライブ録音、フルトヴェングラー指揮のウィーンフィルハーモニーの演奏です。


去年ちょっと聞いて、あっ暗いと思ってやめてしまったCD。

今は毎日聞いています。

危ないか………いいえ、大丈夫です。

ただ思った事は、バッハは、最悪どうしようもない時に聞くと、その音楽の深さに共鳴し、癒されると。

どんな思いがあったから、こんなメロディーが産まれるのか。

1部、2部からなる構成の大曲ですが、2部の前半にあるアルトのアリア…憐れみたまえ、我が神よ…、これを聞きたいがために、私は、延々と1部を聞きますね。


バッハの演奏と言うと、ロシアのタチアナ・ニコライエワをかなり前に、名古屋で聞いた。

平均律曲集だったけど、多彩な音色で自由に弾いていた。


最近、ユーチューブで、この人の弾くラヴェルを聞いて、ぶったまげた。

鏡から、悲しい鳥と、洋上の小舟の2曲を弾いている。

悲しい鳥なんて、出だしはラヴェルの要求は最弱音ppで、フランス語でトゥレ ドゥの表記、とてもやさしく。

ただ始まりの音には、アクセントはしるされてはいる。

ニコライエワは、ラヴェルの要求は、ほとんど無視。

アクセントをたっぷりとつけた硬質の、あれはもうフォルテでしょと言う音で弾き始める。


賛否両論あるとは思うが、私はこの演奏は有りだと思った。

なぜかと言うと、説得力が凄い。

こうしか弾けない、これしかないんだと言う確信がある。


確信のもとに弾く事ができると、これほどまでに自由になるのね。

不死鳥の様に、力強い、悲しい鳥。


素晴らしく情熱的で、知的クールなラヴェルを弾かれるアンリ・バルダ先生は、どう思われるかしら。

音楽は、本当に面白いなと思ったのでした。


今日は、お友達が午後に遊びに来てくれます。

久しぶりに成城石井のケーキで、ティーパーティーか。

掃除もしなくては。




晴れた日の桜。風はとても冷たかったけれど。↓



2019年3月23日

日付を22日と入れた途端に、スマホの時刻が0時00分になった。

不思議なもので、雑文の類いの文章でも、気分が落ち着かないと書けない性分。

3月3日に、バッハとラヴェルを弾かせて頂く会を終え、今回は曲目を全部変更し、また、短期決戦だったので、神経がくたくたに疲れた。

好きじゃなくてはできません。

こういう時は、自分のテンションを日常に戻すのに、友達といっぱいお喋りするか、一人黙々と走る。

なぜか、走ろうと思った日に限り、めちゃくちゃ寒くなる。

昨日も走ったが、昼間は気温が20度越えなのに、走りに出かけるのが遅くなったため、夕方は風が強くて体感温度は、正に冬だった。

お城の周りはお花見の準備で提灯に灯りがつき、きれいな夜景となっていた。

誰か写真を撮っていたので、私も何枚か撮ってみたが、手袋を取ると、あまりの寒さに手が、かじかみ3枚で退散。

走りのフィニッシュは、高級スーパーマーケットの成城石井です。

これだけ頑張ったから、何か美味しい物、と思う。

余りに寒かったから酒粕に目がいった。

粕汁にしよう。スマホで材料、作り方確認しながら買い物。

これ、本当に便利だわ。

魚沼産のコシヒカリの酒粕は、アルコールがしっかり残っている上等品。酔っぱらいました。

今回の文章、音楽の話ではないので、ちょっと気が退ける。

少しだけ音楽の事、書きます。

やはり演奏直後、また演奏会後は、テンションが、違います。

神経をたっぷり使いますから。

演奏が終わったら、あまり人に解らない様にハイなテンションを押さえて、尚且つ日常に戻していくすべ、いろいろある方がいいです。

今回、もう大変だから、演奏するのはこりごりと思ったバッハ。

かなり追い詰められた状態で弾きましたが、思いの丈を込めて弾いてもバッハは受け入れてくれました。

バッハは、厳として崩れない。

いくら勉強しても、足りないと思いました。

寒い中で撮った写真。↓



2019年3月7日

ひな祭り3月3日に、武蔵野音楽大学同窓会の演奏会が浜松市アクトシティの音楽工房のホールで開催された。

私も、卒業生として、参加し演奏させて頂いています。


今回は、バッハの平均率集第1巻から変ホ短調と変ロ短調のプレリュード、それから時代を近代までずっとぶっ飛ばして、ラヴェルの夜のガスパールからオンディーヌを弾いた。


まず始めに弾くバッハ2曲を続けて演奏するのには、自分なりの納得がいく話としてしっかり捉えて演奏したかった。

問題は、その後のラヴェルのオンディーヌに、どう気持ちを持っていくか?

私は、全く別の曲ですからと、切り替えて弾きたくなかった。

でも、どう考えても関連性なんかなさそうにみえる。

でも、これ弾きたいんです。


で、考えました。演奏会の前々日までかかりましたが、自分がすんなりくる道、ありました。

不思議なもので、自分がこうだと、その時確信するものがあると、人は、自由になれる。


でも、事件は突然起きる。

2月の下旬は、暖かい日が続き気温が東京で20度近くまで上がる日があった。

演奏会まで、あと10日となったその日も穏やかな暖かい日だった。


朝からなんだか、背中が痛い。

でもたいした事ないから、いつもの様にピアノを練習していたら、知らないうちに治っていた。

そしたら、夕方ぐらいから腰が少し痛い。

えっ、痛みが少し休憩してから移動したか……?

夜、用事でコンビニに行って帰ってきたら、もうアウト。

ギックリをやったかと思われるほどひどい。魔女の一撃をうけたか?

とは言うものの、階段上り降りはきついのに、ピアノは弾く事はできる


東京で、体の調子をみて頂いている先生が、寒いと筋肉が縮こまるから、ストレッチをしてね、と帰り際に言われたのが脳裡を過り、練習後ストレッチをする。


ヨガのポーズもちょっと入れた自己流のコースを、いつもの順番でやって行き、最後はハトのポーズ。

大変だったけど、出来ました。


でも、伸ばしてみると、どこが縮んでいるのかよくわかった。

ピーチ先輩、あなただったのね。足の一番ふとい筋肉。


そんな具合で、3月2日には、ほとんど治ってまして、良かったです。


バッハは、超エモーショナルにドラマを語ってしまった。

その流れでラヴェル、でもやり過ぎはラヴェルには禁物。

個人的な物語を全体を通して作っておいたのは、数曲の構成でも音楽のパッチワーク的な流れにしたくなかったから。


いつもとても勉強になる良い機会となっていますが、今回も私としては、難しい選曲でしたので、とても勉強になった会でした。



当日演奏致しましたバッハのプレリュードとラヴェルのオンディーヌの簡単な解説をBlog(私的曲目解説)に載せていますので、宜しかったらどうぞご覧下さいませ。

録音、録画は主催者サイドと会場の都合で、できませんでした。ご了承下さいませ。

写真だけ撮りました。 ↓



2019年2月14日

気が付いたら、今日はヴァレンタインデーだった。

暇な時は、チョコレートを手作りするけど、今は3月の演奏会のバッハとラヴェルで手一杯。

そのヴァレンタインのチョコレートで思い出した。また、アンリ・バルダ先生の話です。


アメリカから帰って来たのが2000年。その頃、日本から、毎年パリにレッスンを受けに行っていた。

2001年だったと思うが、オペラ座で、バルダ先生がショパンを舞台上で次々と弾き、そのそばで、パリ・オペラ座バレエ団のエトワール達がジェローム・ロビンスの振り付けで踊ると言う公演を見に行った。

場所は、勿論、天井にシャガールの絵が描かれている、ガルニエ宮のオペラ座。


その公演は、3月だったが、私は、その事を知らずに、1月にレッスンに行った、その時の話です。

先生は、オペラ座で夜遅くまでリハーサルがあり、午後のレッスンが一回抜けそうになった。


私は、ほぼあきらめて、パリの街を歩いていた。切手を買おうと思い、郵便局を捜していた。

映画のダヴィンチ・コードで有名な、サン・シュルピス教会のあたりで道に迷った。

その時、私の携帯電話が鳴った。

先生からの電話だった。

海外旅行用に日本で借りてきた携帯電話の番号を、先生に伝えていたのだ。


夜遅くても、弾けるところがあるから、後でまた電話するようにとの話。(先生のお宅では、あまり遅くまでピアノの音をだせないのだ。)

ホテルに帰って、先生に電話で尋ねたら、お友達の高田美さんのところだと言われた。

あそこなら、リハーサル後の少し遅い時間でも、ピアノを弾けるとの話。

急な話なので、多分、確認をとって下さっていたのだと思う。


高田美さんは、超有名なフォトグラファー、ピエール・カルダンの片腕と言われた方です。


先生は、高田さんは、ベヒシュタインのいいピアノを持っているんだ、とか、バッハは、とても味のある音を出されるのだと話して下さった。


私は、次の日ルーヴル美術館の前にある、超高級アパルトマンに行った。

まわりが、あまり立派な建物ばかりなので、間違えて隣の教会に入りそうになった。

もう、バルダ先生は到着されていた。

高田さんは可愛い犬と住んでいらした。

その犬がとても人なつこくて大ウェルカム状態だった。


初対面だし、勿論手土産が要る。

お花か、チョコレートか。

お花は、水を変える手間がかかるから、かなりご高齢と伺ったので、チョコレートにした。

メゾン デュ ショコラの中位の大きさの箱。


簡単に言ってしまいますと、それは、高田さんではなく、バルダ先生が、多分全部食べてしまわれたと思われます。

高田さんは、チョコレートを見られて「え、私に?」と言う感じ。

ご遠慮なされたのか、その時の

体調を考えられての事なのか、私は判らずにいたら、すかさず、先生、「私が、もらう。」と、にっこり。


レッスンは、シューベルトの即興曲op.142から数曲弾いたと思う。

ほとんど先生、冗談ばかり。

深刻な曲の途中でも、吹き出す様な事を言われる。私は、もう最後はピアノに突っ伏して笑ってしまった。

またレッスン中、犬の散歩の係のお兄さんがやって来て、私、この人よく知りませんが、レッスン中とわかっているのに、なぜかニコニコと、わざわざ握手を求めにいらっしゃるため、レッスン中断。

もう、何が何だか訳が解らないわ。

今日は、いったい何なの!


レッスン終了。


芸術家の部屋には、オブジェがある。

ピアノの横に、材質が何かよくわからない、大きな輪が無造作に台の上に置かれていた。

……先生、これは何ですか?

……水牛の背骨だ。

なんてまあ、珍しい。

中身がくりぬかれているので、輪の形になっている。

私は、そこに腕を通してみました。

腕を抜く時、触ったつもりはないのに、台の上でガタッと動き、びっくり。

あわてて台から落ちない様に押さえました。

きっと高価なものなのでしょうね。


帰りはちょっと遅くなったから、それほど遠くないけれど、安全を考えて、タクシーに乗った。

Dauphine通り、Jacob通り。


2ヶ月後、私は、またパリのオペラ座に先生のピアノを聞きに行った。

勿論、バレエも見ました。

素敵な公演でした。

パリオペラ座内部の写真 天井にはシャガールの絵 ↓




2019年2月4日

昨日は節分で、今丁度、日付が変わったところ。

恵方巻き食べたかったな、東北東を向いて……。

その方位にいらっしゃる神様に無事をお願いしたい。

この雑文集のmiscellanea, 気がつくとアンリ バルダ先生の事を書く事が多い。

レッスン、長くついていると、いろいろ面白い話もあり、思いだしてしまう。

先生、すみません。

しょっちゅうネタにしてしまって。


アメリカから、パリにレッスンに行くようになった頃、DATという高品質の小さな録音機を持っていった事がある。

リサイタルのプログラムのレッスンだったと思う。たくさんの注意を忘れてはいけないと思っての事だ。

先生のお宅のレッスン室の隅に設置。

準備万端、レッスン開始と思ったら、なんと先生つかつかとDATのそばまで行き、マイクに向かって一言。

「I don't like the recording.」

「私は、録音が嫌いだ。」

これが、レッスン最初の録音。

私は、ぷっと吹き出した。

その後録音をどうしたか、あまりよく覚えがないが、多分スイッチを切った。

レッスンが終わった後、これはいつ弾くのだ?とか、リサイタル終わったら電話しなさいとか、いろいろ言われた。

凄く心配している様子を隠さない。

弾くのは、私なのに……。

今思うと頭が下がります。

日本に帰って来て数年後、ニューヨークに再度渡ってリサイタルをした。

その時も、終わったら電話しなさいと言われていたので、ニューヨークのホテルから、パリのバルダ先生に電話をした。

…先生、何とかなりました。有難うございます。…

…そうか、次はいつレッスンに来るのだ?…

…えっと、ちょっとまだ……終わったばかりだし。…

…そうだな、明日はどうだ?…

…えっ、ど 、ど、どうやって行くんですか……。

…NASAに行け。スペースシャトルがあるじゃないか!…

これ、本当にあった会話です。

あまり、びっくりしたので、よく覚えています。

先生は、本当に楽しい。

ちょっと冗談が過ぎる事もありますが。


2019年2月1日

本当は毎日、3月の武蔵野音楽大学同窓会主催のコンサートの曲を練習するのが望ましいのだが……。

今日、いや正確には昨日は、私、あまりバッハもラヴェルも弾きそうにない。ので、夏の六甲ミュージックフェスティバルのバルダ先生のレッスンにモーツァルトを持って行こうと思い、そっちを弾いていた。


モーツァルトのソナタと言うと、私はどれも好きと言う訳ではない。どちらかと言えば、好き嫌いははっきりしている。バッハの平均律集でも同じで、プレリュードは好きでもその調性の対のフーガはあまり好きじゃないなんて事は、よくある。

以前アンリ バルダ先生に、なんであなたはこのフーガを弾かないのだと聞かれ、好きじゃないんで……と正直に答えたら、あまり追及されずに済み、ホッとした事もある。嫌いじゃしょうがないけど、勉強はしておく方がいい。


話をモーツァルトのソナタに戻します。日本で初めてのリサイタルのプログラムが、前半モーツァルト、後半ラヴェルでした。

その時のモーツァルトのソナタは、ハ長調K.309。アメリカに住んでいた時、ニューヨークでのリサイタルにもこのソナタをプログラムに入れた。

日本で何度か本番で弾いたのだけど、練習していて苦しくて仕方なかった。必死で想像力を働かせ、音楽を感じて作っていこうとしても、うまくいかず、疲れてしまう。そして不甲斐なさから自分を責めるの繰り返し。この悪循環から逃げられなかった。最初にこのソナタを弾き始めた頃に比べると、格段に苦しい。


本番数ヶ月前に、パリに行き、バルダ先生にみて頂いた。先生は、私が困難な状況で、訳が解らず自分を責めている事をすぐに見てとった。

先生は、にっこり笑って私に穏やかに言われた。

「それは、あなたのせいではない。

モーツァルトのせいだ。」

私は、この言葉に救われた。


……なんなら、違うソナタにするか?イ短調のK310、これはモーツァルトの作曲した傑作だ。と先生は、続けられた。


私は、曲は変えずにそのままハ長調K.309をニューヨークで弾いた。それ以来、この曲とは、会わずにいる。

イ短調のソナタは、その後勉強して、リサイタルで弾かせてもらった。

あのハ長調が、うまくいかないなら、こっちのハ長調を弾こうと思って、昨年のリサイタルでは、K330を弾いた。丹念に話を作って、時間もかけたが、悪循環は起きなかった。

………K.330についてはBlog(私的曲目解説)に、昨年のリサイタルのプログラムで、ごく簡単に触れて書いたものがあります。運命の女神の話。……


あれは、あの悪循環は、一体何だったのか。

いくら誠心誠意話しても、解らない時ってあるわ。

そんな時、自分が悪者とは限らないのね。でも、私の場合は、その時相手が、モーツァルトだった。

「あなた、おかしいわよ。」なんて私は言えませんです。


バルダ先生、言って頂き有難うございます。


感謝を込めて、アンリ バルダ先生との写真をアップします。以前アップしたものと似ていますが若干違います。↓



2019年1月15日

年に一度の私にとっての宴会が昨日名古屋であった。名古屋フィルハーモニーとセントラル愛知交響楽団、その両オーケストラのOBの方達と現メンバーの方達、そしてそのお友達と言う構成だが、私みたいに、お世話になったピアニストも呼んで頂いている。これは、もう30年以上も続いている会です。

本当に楽しく、普段からたまっている毒を出してすっきりさせて頂いております。

私は、昨日は、次の日の事も考えてウーロンティーです。皆さんすごく飲んでいらっしゃいました。

いえ、私だって少しは飲めるんです。

好みは、ウォッカ……ウソです。コニャックです。できればナポレオンで。

つまみは、チョコレートにします。

醸造酒は、苦手。

蒸留の方で、ほんの少しで結構です。

皆さんかなりの酔っぱらい。

ふざけるのも半端なしです。

名フィル首席トランペットOBの Iさんに私は、何度か首を絞められかけ、名フィルのヴィオラY君には、哲学的な説を伺い、セントラル愛知のトランペットのMさんは、私の話を心配そうに聞いてくれていると言う混乱したテーブルで、私と一緒に参加してくれた仲良しの二人の若い女の子は、初参加なのにも関わらず、全く動じずに飲んでいる。

鍛えられます、いろいろな意味で。

やっぱり音楽する人達は、いいな。

本番の厳しさを知っているから嘘がない。

永遠の青年達です。



その混乱のテーブルの強者達の写真を心を込めてアップ致します。 ↓



2019年1月6日


お知らせ致します。


演奏動画を10件アップ致しました。

内容は、まず、以前アップしたモーツァルトの第27番のピアノコンチェルトの違う部分を、少しずつ全楽章。第1と第3楽章はcadenzaと言うピアノのソロの部分が入っています。


次は昨年4月の名古屋でのリサイタルからバッハのプレリュードを4曲。使用楽器はKAWAIです。

平均律第1巻からハ長調、変ホ長調、変イ長調、変ロ長調です。


次は、掛川でのバックハウス氏の所有だったベーゼンドルファーのインペリアルで弾いたリサイタルからラモーを3曲。

エンハーモニク、エジプト風、一つ眼巨人です。


ユーチューブで

haruko tanaka piano

で検索しても見れます。このほうが、画面が見やすいかと思いますので、宜しかったらどうぞお試し下さいませ。私の動画画面下方にグレーの○にfのマークをタップすると、私の動画だけピックアップして出てきます。また、ユーチューブは、題名が原語表記で、解りにくく、すみません。日本語に変えたいと思っています。


2019年1月5日

新年明けまして、と言うところだが、今思うと昨年クリスマスからお正月まで用事と練習とのせめぎ合い。やっと時間がとれたお正月に2日ほどめちゃくちゃ練習した。


大阪に行く用事があったから、その前にできるだけやっておこうと思うとこうなるんです。

二晩ほぼ徹夜、朝起きて睡眠不足で、大阪……。勘弁して頂く事になりました。風邪は、ひきたくないので助かりました。


夜中練習していると、お腹がやはり減る。夏ならフルーツ、桃、葡萄。冬は、林檎、ミカン、でも、冬は寒いのでどうするか。蜂蜜いれた暖かいコーヒーか紅茶にミルクたっぷり。これで二時間は、もつ。こんな話どうでもいいのだけれど。


カナダの奇才ピアニスト、グレン ・グールドが亡くなる前、冷蔵庫に食べ物がほとんどなかったと、何かで読んだ。私は、彼のデビュー版の、バッハのゴールドベルク変奏曲は大好きです。晩年の再録音は、少し聞いても重くて、私はあまり好きではなく全曲聞いた事はない。

好きな録音は、虜になるくらい好きだったから残念だけど。

きっと彼は演奏がすべてだったから、他の事には関心がなくなってしまったのだと思う事にしている。あんな風にバッハを弾ける人はいない。

ET.みたいに宇宙に帰ったのかな。


注:ET .とはスピルバーグの映画の主人公。地球外生物、宇宙人。extraterrestrial。



2018年12月15日

バッハの曲、ほんのプレリュード4曲を弾くのにも、本当に大変で、もう二度とバッハはやるまいと思ったのが、今年の4月のリサイタルの事だった。

なのに、8月のアンリ バルダ先生の六甲ミュージックフェスティバルのレッスンに持って行き、また今本番に向けて練習している。


4月のリサイタル前1月頃、あまり辛くて、福岡に引っ越した大学の時の友達に電話した。彼は、以前長くニューヨークに在住で、ニューヨークでの私のリサイタルを2度主催してくれた。そういうマネージメントの仕事をしていたから、随分と助けてもらった。

私の話を聞いて、「何が大変て、やっぱりバッハでしょ。」と言っていた。

……こんなに、家で弾いていて楽しいのに……何でよ……とにかく頑張るしかないわ……等と言って会話を終えたが、聞いてもらっただけでも、気が少し楽になる。


それからもう少しして、更に演奏会が近くなってきた2月頃だったと思う。夜中1時か2時頃、練習中に、突然やっぱりバッハの事を聞いてみようと思い、パリに電話した。パリは夕方。


先生は、去年の日本ツアーで平均律の難曲を何曲も弾いていた。


結論から言うと、バッハの話はほとんどしなかった、と言うか、その話にほとんどならなかった。本当に今思い出すと何だか真面目だった私が可笑しくて笑ってしまう。


まずSkypeでコールしたら、出なかった。もっともオフラインだったからダメ元でしたが。しょうがないから、固定電話にかけた。出ない事もよくある。


先生が電話に出た途端、私とわかりすぐ間髪入れずに、Skypeでかけ直せと、ご自分のパソコンもONにするからと言われた。その方が、電話代がかからないから、私も有難い助かる❗️


Skypeでかけ直したら、私のスマホ画面に先生がにこっと写った。video通話モードです。

私は、瞬間しまったと思った。

私写ったか?

夜中練習中、つまりノーメイクにジャージ姿。良いわけない。


スマホ歴長いがvideo通話を私は使った事がなかった。だから、先生が画面に写った途端、私のスマホもvideoモードだと思ってしまった。

先生が、私にvideo通話に切り替える様に言われるので、それでほっとした。

私のスマホは音声モード、先生に、私は見えていない。

丁寧に画面で、切り替え方法を教授して頂くも、全力で逃げ切る。

バッハどころではなかった。


やっと先生、切り替えを諦めて頂き、バッハの話。

私…「今度リサイタルで弾きます。」

先生…「どのプレリュードだ?」

私はスマホ片手にピアノまで走って行き、4曲の出だしだけ弾く。

先生…「いい曲だ。」

私…「どうすればいいのでしょう。大変です。」

先生…「私も大変だ。」


そうです。

自分でやるしかない。


その後、先生は、自分はこれが好きだと言われて、プレリュードを一曲弾いて下さいました。

それでこの夜中の事件は終わり。冷や汗をかいたけれど、元気になりました。

あんな風に電話口で、さらっとバッハを弾ける様になりたいなと思います。


2018年12月14日

来年3月の大学の同窓会支部の演奏会で、バッハとラヴェルを弾く事にした。バッハは平均律集から2曲のプレリュード。この夏に六甲ミュージックフェスティバルでアンリ・バルダ先生に見て頂いた。なぜかフラットが沢山付く調性の曲ばかり。フラット6つと5つ。好きだからと言っても両方とも、調性から見て単純な内容ではないのは明らか。故に、相当に苦労したし、今も勉強中。


フラット6つ(変ホ短調)は、かなり感情たっぷりに弾くが、5つ(変ロ短調)の方は淡々と何もするなと先生は、私に言われた。

変ホ短調のプレリュードは、これでもかと言うほどに当時としては、大胆な転調のクライマックスがある。私は、この曲を勝手に「輪廻転生」のプレリュードと呼んでいる。人は、死んでも、また生まれ変わるのか……。テーマが、重かった。頭が疲れるわ。


変ロ短調のプレリュードは、宗教色が濃い。キリストが十字架を背負い歩いている様な光景とでも言えばよいのだろうか。ただ、このバッハの音楽は描写音楽ではない。心象風景、心の中での光景と私は捉える。だから私は重い足どりのテンポでは、弾かない。

多声音楽の極みの様な、5声6声のメロディーが固まって和音になり、部分的に7声になる。

メロディーを追ってアナリーゼしていると、もう勘弁して下さい、これ以上音を積まないで下さいと言いたくなってくる。


昔、アンリエット ピュイグ ロジェ先生にフーガの勉強について言われた事を思い出し、この複雑な変ロ短調のプレリュードもフーガの練習と同じ。メロディーを丹念になぞって練習する。

私は、こちらのプレリュードを、「人混み」のプレリュードと呼ばせて頂く。何かが人混みの向こうで起こっているようだがよくわからない。見ようと近くに行ことするが、ますます人が目の前に現れて邪魔して見えにくくする。人混みの向こうで何があったのか、よくわからないが何か神秘的な、超自然的な事があったのかもしれない。

なぜなら、とても美しいプレリュードだから。


2018年12月5日

この雑文コーナーを、しばらくほったらかしにしてしまった。

この秋、9、10、11月、何だか忙しいわ、事件は起きるわ、でなかなか落ち着かなかった。もういいわ、勉強させてよ。と言う事で、またバッハで脳ミソ絞って、ラベルで手を扱き使う日々にもどる。

来年3月に、二年に一度開催する武蔵野音楽大学の支部の演奏会がある。私もずっと出演させて頂いてきているが、予定していた曲を全部変更した。チラシに間に合って良かった。でも、大変になった。まあいいわ、頑張ろう🎵。

やっぱり今の気持ちに素直に、弾きたい曲を弾くのがいい。

ラヴェルは、超精密な曲を作曲する。ピアノの機能の限界みたいなところまで要求する。そこに集中して練習してると手を壊します。バルダ先生も、言ってらしたわ。スカルボのレッスンで。

注:スカルボ 妖怪の一種

夜のガスパールの最後の曲。

今回は私は、スカルボを弾く訳ではないが、レッスンで言われたらちょっと躊躇しますよね。

但し、2015年秋のバルダ先生の日本ツアーは、夜のガスパール、ありました。素晴らしかった。日本国内を追っかけて三回聞きました。現実に目の当たりにして、耳に焼き付けて、本当に良かったと今思う。音楽で何が大事かを、先生の演奏から、知らない内に、感じていた気がする。ピアニストなんて、ホールが変われば、ピアノも違う。どこまで思った様にできるか、最善をつくすが、ピアノの状態なども関係して、わからないところがある。それでも、何が大切か、ステージの上の先生から、たっぷり浴びた気がした。

生きたレッスンて、この事ですね。

感謝を込めて、その時の先生との写真。2015年9月24日 名古屋にて。 ↓


2018年10月26日

今まで足を運んだ絵の展覧会、数知れず。でも本当に感動する絵に会えるのは、僅かです。僅かと言っても、感動の質はいろいろで、何かを発見した時の嬉しい感動もあれば、とても神秘的なものに出会って思わず黙って身構えるなんて事もある。

音楽の演奏会も、心から感動する音をその日、ひとつでも聞ければ、私は良かったと思います。それほど、出会うのは希有と言う事かも知れない。

前回の文章、野獣派とも言われるモーリス ド ヴラマンク。この人やはり、本人の描く絵のまんまの人。まあ、当たり前ですけれど。有名な話がある。若き画家、佐伯祐三という才能豊かな青年が渡仏して、絵を見せにヴラマンクの所に行ったら、「余りにもアカデミックだ。」と評したという。東京美術学校を出て、パリに留学となれば、新進気鋭。でも、ここは芸術の都パリ。どんな洗礼を受けるかは判らない。ヴラマンクはこんな事、わざわざ言わなくてもよかったのにと私は思う。が、きっと一皮むけるようにと、厳しい言葉をかけたのだと思う。その後の作風が、劇的に変わったと、何かで読んだ。大変な苦労をされたのだと思う。昔、佐伯祐三の回顧展でかなり沢山の作品を見た。その時、私はあまりピンとこなかった。何だか少し悲観的な気分になったような気がした。物凄く荒っぽい言い方をするならば……絵は素人だからお許し願います……

ゴッホは好きだけれど、ゴーギャンはあまりわからない。

話が少し変わりますが、私が初めてヨーロッパ、ザルツブルクでのモーツァルテウム国際夏期講習を受けて帰ってきた時、カルチャーショックで、夜には悪夢に魘されました。20代でこんな目に合って、私は良かったと思います。西洋について音楽について、悩み考えました。明治維新みたいなものです。もっと遡ると、自分が音楽を専門にやっていこうと決める時も、すごく考えました。なぜ音楽を選ぶのかと。中学生の自分なりに決心する言葉を探した。

アンリ・バルダ先生の所に初めてレッスンに行ったのは、21年前。その時は、アメリカに住んでいた。スイスの夏期講習の後にパリに寄って伺う事になっていた。個人情報は、ショパンのソナタのCDとパリ音楽院の先生という事だけ。スイスのホテルに電話がかかってきた。すごい早口の英語。全くどんな人か予想がたたないうちに、会話終了。

当日、ニコニコで迎えて下さるが、私はまだ何にも解っていない。怖いもの知らずってこの事ね。モーツァルトのレッスンが進むにつれ、先生、どんどん真骨頂を発揮されていかれる。

「何だ、その音色は!ヤギが鳴いているみたいだ。」その次、

「あなたは、nurseryの生徒か!」 注:nursery 保育園

言われた事は解りましたが、残念な事に、私は全くムカッともしないし、もちろん怒りもしなかった。というか、ヤギの鳴き声を一生懸命思いだそうとするが、あまりその鳴き声に正確な覚えがないから困って、とにかくもうちょっと良い音色にする努力に集中。その次の発言については、私の力ではどうにもできません。ただ先生の顔をじっと見る。その割には、あんまり意地悪な顔は先生していないわ、と思った記憶がある。

今思えば、これが先生一流の洗礼だったのか……。

しかしこの後、何が原因かは覚えていないが、私は物凄く怒ってしまった。本当に、原因が何か思い出せない。怒った私を見て、先生は今度は自分がピアノに向かい、いろいろ弾きながら話を始めた。京都に行った時、秋だった。ほら、手のひらみたいな葉っぱ、🍁……そうだ  ❗️  モミジだ。    なんだか、保育園の子供のご機嫌を一生懸命とっているような感じがひしひしと伝わってきて、私は機嫌が直った。今思うと、なんと私は大人げなかったのか、赤面する。でも先生、私の事を保育園の生徒呼ばわりしたのは、案外大当たりでしたね。一瞬で見抜いてしまっていた。今回この文章を書いて私がそれに気が付くのだから、私は21年かかった。やっぱり、先生、すごいです。

アンリ バルダ先生とのツーショット 2015年9月24日名古屋でのリサイタル後撮影

     ↓


2018年10月16日

あるテレビ番組を途中だけ見ただけなのだけど、すごく考えてしまった。第二次大戦中の略奪美術品、絵画を自宅アパートに所蔵し、数年前に高齢で亡くなった人の事。美術品は、父親から受け継いだ総額数百億円。美術館並の作品と共に、ずっと隠れる様に暮らす。番組を見た限りの判断だけど、もし救いがあるのなら、絵画を見て会話をする時間が沢山あった事なのかもしれないが、その受け継いだ負の遺産に苦しんだ方が、強かったのではなかったのかと思う。

こういう番組を見ると気持ちが、重くなる。また、いかに今、楽に生きているのかと思う。

丁度一ヶ月ほど前、モーリス ド ヴラマンク展を見に静岡に行った。暗い雪景色、画面真ん中の道は何処に行くのか、ちゃんと描いてあるのだが、向こうに行ってしまうと何処なのか、道が終わると消えてしまうような気が私にはする。荒涼とした感じだが、タッチは激しい。でも、不思議な事に、寂寥感に襲われる事は私は、ない。こんな感じの絵が多くある。

ヴラマンクの絵に出会ったのは、考えてみたら丁度20年前だった。アメリカから一時帰国していた時、用事で毎週東京に通っていた。銀座の画廊で見て、磁石の様に吸い付けられた。毎週、そこに通った。こんな寂しい感じの絵を見て、嬉しそうにしている私、端から見たら、さぞかし不気味だったかもしれない。でも、好きな絵に会えて嬉しかったのは、本当。

絵画展のチラシの絵は、残念、雪景色ではないのですが、アトリエの写真の本人の背後にあるのは、雪景色の絵。 ↓


2018年10月12日

10月になったばかりの時、台風で停電、その影響で、パソコンがダウンした。懐中電灯にビニール袋をかぶせて、電灯変わりにするが、暗い。電動シャッターが作動しないから昼間から薄暗い。夜にこの状態でピアノを弾くとバロック時代にいるみたいな気分。でもさすがに暗いので、最後の手段。登山の時に使う頭に着けるLEDのヘッドライトを持っていたのに気付き、使ったが、大変便利でした。ハンズフリーとはこの事ね。ピアノに料理に、助かりました。

話変わり、先月の9月に東京で聞いたピアニスト、アレクサンダー・コブリン氏のリサイタルに神戸まで行きました。同じくショパンのソナタ全3曲のプログラムです。コブリン氏の神戸でのリサイタルがきっかけでお友達になったM子さんと再会し、盛り上がる。

コブリン氏のこんな内省的なショパンて、私はあまり知らないなどと、会話にお互いに熱が入る。

今回の演奏、今までの彼の演奏を好きな人には、少々解りづらかったかもしれない。敢えて簡単に言ってしまうと、辛口の全くウケをねらっていない演奏。

私は、素敵だと思います。自分の心の奥深く入り込む事。自分の表現を探し求める事。感動しながらも、演奏会後にいつもとは違う感慨深いものを残してくれたと思いました。

サイン会があるので、また今度はお友達と並びました。「Hello.」と、言って頂いて、また私は、喜ぶ始末。

M子さんが、撮ってくれた写真アップさせて頂きます。 ↓


2018年9月20日

この9月は、私が15年前から追っかけているピアニストが来日。コンチェルトとリサイタルを2ヵ所で行う。なんとリサイタルのプログラムがショパンのソナタ全3曲を弾くと言うプログラム。ショパンのソナタ第一番はあまり馴染みもなく有名な曲ではないけれど、アンリ・バルダ先生がCDで、全ソナタ3曲を録音されている。フランスのCALIOPEと言うレーベルです。CDは何度も聞いていたが、今回改めて聞きなおしてみて、第一番も面白く聞けた。ショパンが18歳の時に作曲した曲だ。習作の域を出ないとか、冗長のきらいがあるとか言われるが、まずバルダ先生の演奏からは、若いショパンに対する曇りのないクリアーな解釈と鮮やかなソノリティーから浮かび上がる溌剌として恐れを知らないショパンを感じる。でも、彼の憧れも憂鬱も込めて。若くてもショパンの精神の核はある作品だと思う。

実は、昨日東京でそのプログラムを聞いてきた。38歳の彼は、それらの曲をまるで、彼岸から語りかけるかのように弾いた。全く私の予想を思う存分裏切ってくれた。言うなれば、バルダ先生の演奏の対極にある様な演奏だった。会の終了後、サイン会があり並んじゃいました。前に立ったら、「あっ。」と言う顔をして、覚えていた様子。数日前にコンチェルト、その時も並んだし、やっと15年間の苦労も報われたわ…。簡単に私の感想を伝えたら、「サンキュー!」と、にっこりされました。アンリ・バルダ先生は、どちらかと言うと万年少年、万年青年。純粋だから炎の様に怒るときは容赦なし。こちら、38歳で彼岸を知る…。ショパンの作品の奥深さを感じた日でした。

Alexander Kobrin Recital de Piano


2018年9月15日

よく考えると、もう1ヶ月前の事だった。神戸の六甲ミュージックフェスティバル。まるで嵐の様に、毎日が過ぎる。最終日の日は、レッスンと終了演奏会がある。レッスンでは、今までに習ったバッハ、ドビュッシーを短期間の練習で何とかしたのを聞いて頂いた後、やはり時間が30分少しほどある状態。ここで三度目の、シューマンのピアノコンチェルト。猛スピードで全楽章弾かせて頂く。終了演奏会では、ドビュッシーだけを弾かせて頂いたが、弾き終わったら、先生がちょっと悪戯っぽい目をしていたので何かなっと思った。その時何となく、来年春の大学の同窓会主催の演奏会では、バッハも弾こうと思った。こういうのテレパシーって言うのかしら。その後、近くにある神戸らしいお洒落なコーヒー店に移動する。雨が少し降ってきた。後ろを振り向くと、先生が雨に濡れながら歩いている。走って戻り、

「先生、雨ですよ。傘…。」

「I´m washable.」

「ジャケットが雨で台無しです。」

「It is washable ,too.」

私は吹き出してしまい、もう、ほっておきました。先生そのままスタスタ歩いてコーヒー店へ。人に気を遣わせるのが嫌い。以前もリサイタル後に、重い荷物を手伝おうとしたら、全力で「それはやめてくれ。」と言われる始末。

今度は、打ち上げの食事中の先生と主催者庵原さんとの会話。お互いに美味しいハヤシライスを召し上がっています。

先生「豊治、これは何割だ?」

庵原氏「8割だ。」

先生「ノー、9割だ。」

庵原氏「……9割だ。」

ハヤシライスをどれだけ食べたかの話。庵原さんが先生に伝授されたダイエット法の話を以前伺っていた私には、良く解った。8割食べてから、次はその分量の8割にして量を落として行く。私、知らない顔して聞いていました。すみません。

これでお開き。駐車場で挨拶をかわしてそれぞれ帰って行く。私も、先生にお世話になってから、今年で21年目。「お陰様でずいぶん変わりました。」と申し上げたら、先生が「私から、absorbするからね。」と仰しゃいました。有難いです。


レッスン中の写真。庵原豊治氏撮影。↓

打ち上げのコーヒー店での集合写真。六甲ミュージックフェスティバルfacebookより転用許可済です。↓




2018年9月12日

六甲ミュージックフェスティバルでの2回目のレッスンの話。今日は、スケジュールでは、シューマンのピアノコンチェルトだが、油断してはいけない。何を弾けと言われるか解らないので、ざっと他の曲も練習しておく。やっぱり今日も猛スピードでコンチェルトを全楽章通す。次は何だ、となったので、ドビュッシーのプレリュード集第2巻からどんどん弾く。今日でレッスンのプログラム曲が全部 なくなるわ。明日はどうする?

🎵心配ないからね🎵

……すいません、調子に乗りました。先生は、私に「練習する所あるか?」と、聞いて下さっていたので、「あります。」とお答えしていた。それで、最終日は注意点が理解できているか、確認と読んだ。先生は、とても純粋だから、怒ると本当に怖いのは、20年前から薄々感じていたが、その反面、神経が細やかで、人が困って心配していると同じように心配する。今日レッスンして頂いたドビュッシーのプレリュード、葡萄酒の門、月の光の降り注ぐテラス、カノープ、交替する三度は、どれも大好き。先生もお好きな曲のようだ。ただ私は、ピックウィック卿を讃えてと言う曲は、好きではない、と弾く前に言った。先生は黙っていらした。もしこの曲みたいな人が、本当にいたのなら、私は嫌い。先生とは、正反対の人物だと思う。私の独断だが、ドビュッシーは精神的に我慢ならないものでも、作品に仕上げる時、パロディーにして面白くすると言うよりは、全く純粋に浄化、昇華して仕上げているのではないかと思う。もともとがどんなものだったか、見分けがつかないくらいに。然り気無い見事さ。ただ、このピックウィック卿だけは、毒を取りきるのもいやで、と言うか、逆に浮き彫りにしている様な皮肉さを感じる。私がこの曲に密かにつけた題名を楽譜に小さく書いて置いた。先生、また黙っていらした。


シューマンのピアノコンチェルトのレッスン中。写真は主催者の庵原豊治氏撮影。 ↓



2018年9月11日

今年の夏の暑さ、その後台風での被害、その事を考えさせる日です。2000年の7月にアメリカから日本に帰ってきたが、その次の年にニューヨークでの9-11事件。住んでいたのは、ニューヨークではないが、大学時代の友達もいて心強かったので何度も行った。リチャード・グード先生にもレッスンして頂き、アンリ・バルダ先生にもニューヨークでレッスンして頂いた事がある。バルダ先生は、パリ音楽院のクリスマス休暇で、ニューヨークに遊びにいらしていた。1998年12月。マンハッタンの南にあるヤマハのアーティストサービスの大きなホールみたいな部屋で、シューベルトやショパンをみて頂いた。ご自分が泊まっているお友達宅には、ピアノがないので練習ができないと、お電話したら、嘆いていらしたのを覚えている。先生が、この曲知っているか?とオーケストラの曲を弾かれる。「知っています。チャイコフスキー、ナッツクラッカー」。先生「オー、正解だ!」。クリスマスにぴったりです。その時、シューベルトの即興曲も弾いて下さった。完璧なソノリティーだった。クリスマスのご馳走みたいに嬉しい。私には、ニューヨークはいい街だった。


2018年9月10日

8月のアンリ・バルダ先生のレッスン、六甲ミュージックフェスティバルで根性と肝を試され、なんとか帰って来た。その後少しいろいろあって、やっと落ち着いてきたところ。懐かしいなと思って六甲ミュージックフェスティバルのFacebookを開けてあっと驚く。三日間受けたレッスンの初日の動画をアップして頂いていた。録画して下さっているの、全く気が付きませんでした。用意したプログラム、バッハ、シューマン、ドビュッシーのどれから弾けと言われるか解らないが、日程表ではバッハ。私自身もバッハから入るつもりで気持ちを整えていた。当たり。バッハからすんなり行けと言われる。フーガで言われた事、最終日までによくしておかないとだめよね。また弾けと絶対言われるから。先生は、兎に角仕事のスピードが速い。時間の無駄が大嫌い。バッハを全曲弾いて次、シューマンのコンチェルトになった。この流れの速さは少々警戒していたが、読んでいた。言い訳ではないが、初日って根性いるのよね。移動と前日の練習であまり寝ていない。でもコンチェルト全楽章弾く。それが、この動画です(下記リンクの画面をクリックすると六甲ミュージックフェスティバルの動画へ繋がります。あるいは六甲ミュージックフェスティバルfacebookを開けて下さい)。私は、こんなにテンポ速く弾いた事ないです。それどころか、どちらかと言うと急き立てる感じで、本当に大変でした。以前、アメリカに住んでいた時、パリに行きレッスンして頂いてました。シューマンのコンチェルトも、凱旋門の近くのヤマハアーティストサービスのスタジオで伴奏をして頂きながらのレッスン。最後に全楽章通して弾く時、伴奏パートをほとんどページをめくっている気配なし。つまり先生、暗譜で伴奏してるのです。それでいて完璧に合わせてるのに、ごめん、晴子、第3楽章、あなたを急き立ててしまったと言われた。大丈夫です、先生、私、すごく弾きやすかったです。

8月14日の私の第一回目のレッスンの後に先生とのツーショットを、主催者の庵原さんに撮影して頂きました。↓



2018年8月9日

あともう少しで、六甲ミュージックフェスティバルです。暑くて冷房かけていても、ピアノ弾いていると汗がじっとりでてきます。昨日やっつけた大量のニンニク、たっぷりのオリーブオイルで煮ました。フランス、ブルターニュのゲランドの塩を少しつけて食べる。ホクホクで美味しい。ユリ根みたいな感じ。これだけあれば、夏を乗り切れる。と言うか、これ作り過ぎでしょ。小鍋一つ。いえ、いいんです。バッハで頭の脳みそを、これでもかと使わされて、シューマンで体力絞りとられて、あとドビュッシー、どうやって弾くのよ。いや私には今回、ニンニクがある。毎日、一粒食べます。


2018年8月8日

六甲ミュージックフェスティバルは、もう来週。練習も大事、体力も大切。と思い、夏定番の料理、カレーを練習合間に作ろうと思い準備始める。ここまで上等。が、必須のニンニクが酷い事になっていた。皮の部分にカビ。幸い中身はつかえるが、見た目に我慢がならない。ほっておくのもまだ使えるから、もったいない。1ネット、いくつあるか数えるのも腹立たしいので、黙々とキレイにする。予定が狂った。ドビュッシーの月の光の降り注ぐテラスどころではなくなった。ニンニクの匂いが指につく。でも止めない。こんなに大量のどうする?あります方法が。鰯やマグロをオリーブオイルで低温で煮るイタリア料理がある。ニンニクもまるごと入れるが、作ったら美味しかった。ニンニクだけのオイル煮にできるわ。毎日一粒元気。でも、現実とはこんなものね。ピアノ弾くのも、現実。でも、頭の中は、空想の世界。行ったり、来たりして、毎日ピアノと関わっていく。カレーが、もうじきできる。ヴィーノの門弾こう。

【付録】

奇跡的に上手くスマホで撮れた花火。連写で撮ったけど、あまりいいのがない中、これは、撮った自分もびっくりした。↓


2018年8月3日

六甲ミュージックフェスティバルで、アンリ・バルダ先生にレッスンを受ける日が着々と近づいてくる。プログラムを提出して下さいとのお電話を主催者の庵原さんから頂いた。先生が8月4日にフランスのどこか避暑地でリサイタルされると言う情報も頂いた。スペースシャトルにでも乗らないと聞きには行けないな…。

今日、名古屋は気温が40度を越えた。クーラーをかけて練習していても、やっぱり外が暑いのは、ここでもよくわかる。そんな時に、嬰二短調の長いフーガを延々と弾いていた。私もバカよね。好きなフーガだからいいけれど、もっとシンプルで、できればやさしいフーガを好きになれば良かったわ。バッハは、初めこのフーガを二短調で書いてから移調したと本に書いてあった。暇な時にやってみる。

アンリエット・ピュイグ・ロジェ先生が、日本で教えていらした時、よく演奏会もなさっていらした。その時に弾かれる曲の調号が多くて弾きにくいので、弾きやすい調号に書き換えたらうまくいったわと、話された事を思い出した。

この平均律の嬰二短調のフーガ、普通の二短調だと、きっと誠実な話になるだろうな。シャープが6つ、つくとこの世から遠くなる。でも、この曲、切実な話。虚構の世界での、本当に切実な物語。こんな相反するものが、4ページの中にある。バッハは、いくら弾いてもきりがないです。

でも、現実問題他の曲もあるし、レッスンに間に合うところまでいかないと。


2018年7月22日

いつも思うのだが、大変な思いをしてリサイタルを終えた後、私の場合は全く証拠写真がない。だいぶん時間がたってから気が付き、今度はスナップぐらい撮ってもらおうと思いながらも、弾き終わったら、すっかりそんな事どこかにいってしまう。他の方が撮って下さっても自分の方は気も付かない。静岡でのリサイタル写真ゼロ。録音あるのでO.K.です。名古屋リサイタル、覚えていました。いつもお世話になっている方々との写真載せます。顔出しO.K.確実な方、アップさせて頂きました。ステージでの演奏中の写真は、終演後に無理矢理証拠に撮ってます。ピアノ片付けるって言うのに、大急ぎで。覚えていて良かった。


2018年7月20日

六甲ミュージックフェスティバルと言うのがもうじき、来月にある。アンリ・バルダ先生のマスタークラス、公開レッスンです。しっかりプログラムを準備して、練習しているのだが、たまたま今日は、バッハを弾いていた。やっかいだけど美しい三声のフーガ。これを、否応なしに丹念に分解して、何度も何度も弾く。雑用などで忙しく、気持ちが練習するのにも落ち着かない時、これ効きました。何度も三声のメロディーを、次から次へと取り出して弾く。バッハは、こんな事でも助けてくれる。精神が平静にもどって行く。

ずいぶん前の事ですが、アンリエット・ピュイグ・ロジェ先生がパリ音楽院を退官されてから、芸大に招聘されて教えていらした時、レッスンして頂きました。その時は、ラヴェルのクープランの墓を持っていった。この曲集に、フーガが一つある。先生にフーガは、どうやって練習すればいいのですかと。先生は、おっしゃいました。普通の曲と同じ様にさらいなさい。はい。素敵な先生です。


2018年7月8日

一昨日書いたスカルラッティの事。また好きになりそうなソナタを探して弾きながら考えた。私は一体どこが好きになるのかと。始まっちゃった。暇だと分析癖が始まるんだが、実は今、夏の神戸のマスタークラスの曲の勉強で忙しいのよね。

まず、心にグッとくる小節がたったのに2小節でもあればやられます。その2小節を弾きたいがために、途中に難しいパッセージがどんどん出てきても、延々と何ページも弾く。一種の殺し文句ですね。スカルラッティのソナタは、そんなに長くない曲だからそれが唯一の幸い。ついでに気がついたが、ショパンのバラード第4番もこれでやられた。話戻りまして、次はやっぱり私としては、色彩、カラーです。好きな調性、また転調による色彩変化など。アンリ バルダ先生が、楽曲を移調して勉強しなさいと言われますが、本当に調性が違うと全く曲の雰囲気、世界が変わる。なぜ作曲家がこのキーを選んだか考える。考え始めるときりがないが面白い。でも、実際に指を動かさなくちゃ。練習に戻る。


2018年7月6日

久しぶりに書く気になったので書いています。でも本当は、何度かリサイタル後に書く気にはなったのだが気力不十分で不発。ショパンのバラードも今回弾いて見方が変わった事もあり、書きたいが、でもまたの機会にする。

you-tubeで遊んでいたら、面白い映画のシーンを見つけた。前にも見たかもしれないが、ずっと前。ヘンデルとスカルラッティの鍵盤対決のシーン。楽器はチェンバロ。結果は、両者引き分け。よく調べるとパイプオルガンでは、ヘンデルの勝ちだったと言う記述もあった。映画のこのシーン、自信満々の即興演奏バリバリの方が多分ヘンデル、ちょっと押されぎみの方がスカルラッティと見たのだが、年老いたシーンで顔から判断したら逆みたいだった。それならスカルラッティの勝ちじゃん。鍵盤のソナタ500曲以上作曲してるのよ。まあでも、ヘンデルの事は、あまりよく知らないので大きな事は言えないが。でもせっかくなら、もうちょっと感じ良くスカルラッティ演じて欲しかった。作曲されたソナタを弾いて想像する限り、あんな人ではないと思う。会った事ないけど…。まあ映画の中の話ですが、スカルラッティのファンとして弁護します。

とにかく500曲以上あるソナタの中から、本当に好きなもの見つけるのは大変。先程、新しくまたいいの見つけちゃったかと思ったので、嬉しくて、スカルラッティに感謝の意味で、弁護しました。


God Rot Tunbridge Wells!  


2018年5月9日

名古屋でのリサイタルが終わり、ゴールデンウィーク前半に即突入。お礼の挨拶しながら時が過ぎ連休後半。お見舞いに関西に出掛け、帰ってきたら車が動かなくなっていた。なぜバッテリーが上がったのか不明。車なしでお礼の挨拶出掛ける。やっとほっとしたら雨。力振り絞って作った野菜スープ食べて美味しい、まだ元気、行ける。と思った。時系列的に、次は歯を磨いた。なんだかいつもと違う味と香り。歯磨きのペーストじゃないわ。洗顔石鹸ペーストでした。気を付けます。



2018年4月22日

掛川公演が、終わり1週間がたった。正直な感想、前半で死ぬかと思った。53分ほどかかってしまい、バロックすべての曲をブレイクなしで弾いてしまった。ですので、時間の関係もあり、多分1曲減らしてバロック7曲になります。すみません、ご了承下さいませ。また、アンリ バルダ先生の話で恐縮ですが、先生は、リサイタル前半プログラム50分ぐらい平気で弾いてしまわれる。それもシビアなプログラムで。去年夏、話してらした事、今、気に入らなくて、上手くいかなくても、今度生まれた時、気に入って上手くなるようにしよう。



2018年4月12日

一昨日、かねもホールで調律して頂いたピアノでリハーサルした。前日ではなく、当日の早朝(簡単に言うと夜中)に、調子出てきて、まあ俗に言うお迎えですが、早く寝るどころか外が明るくなってウグイスが発声練習開始してきた。でも、バックハウスさんのピアノが弾けるので嬉しい。と思ってホールのリハーサルで、バロック全8曲弾いたつもりが、1曲弾いていないのに気づいて帰り間際に、練習。4時間ほどいたのに…。バロック、順番は変えますが、もし気分でぶっ飛んでも、アンコールでちゃんとするつもりです。バルダ先生が、演奏会でショパンバラード全4曲進行中に、突然ワルツを弾いたのをフランスで目撃した。でも、あれはその時の自分の気持ちで、曲の流れの中で弾きたくなった感じでした 。音楽が、その時生きていると言う、あんな風になりたいものです。



2018年3月25日

バロックの難しさ。こんな目に今頃合うとは思わなかった。プログラム前半の8曲のバロック達、どの順番で弾くか。どうも練習が進んできたら、初めに予想した順番では苦しくなった。曲は変えませんが、多分順番変えます。ご了承くださいませ。バッハが遺言で、平均律集は、並べて弾かねばならぬと言ったと言うならごめんなさい。ラモーとスカルラッティ中に入ります。



2018年3月25日

物に人の何かが、長い間に染み込む、いい意味での何かが、物なのに感じられると言う事、あると思います。何かとは、人の魂とか気とか。気持ちの通じ合う人には、会いたくなります。楽器も同じ。ベーゼンドルファーは、楽器と言うには、もったいない。私には、ほとんど人間。気持ちをよく解ってくれる友達みたいな感覚です。更には、もっとこんな風に感じてみてはどうかしらと、地平線を広げて見せてくれる。こんな人がいたのね、有難うと言いたい。前の持ち主がバックハウス氏。どんなにすごいピアニストだったのかと思います。音楽は、やればやるほど大変なところもある。でもこのベーゼンドルファーさん、それでも私にもっと面白い話をして、こっちにおいでと、引っ張ってくれます。気が付くと、美味しいご飯の方に行っちゃうって事かしら。



2018年3月19日

目から鱗と言う経験は、そういう思いにさせた人物の持つ説得力からなるのだと思う。ある時期に、随分と混乱する事にあって演奏が乱暴になっていた。恐いのは、それに気付かない自分。それほどの混乱。たまたまYoutubeで、ルービンシュタインのレッスンを見た。英語だったので、多少解った。たった一言、ショパンの音楽はノーブルだ。その一言で目が覚めた。こんなにタイミングよく助けてもらった事は、そうない。それから二週間、必死でした。ヤクザ見たいなショパンを弾いていた。本当に音は、正直。ショパン、天国で聞いて?いたら、相当に怒ったと思う。すいませんでした。



2018年3月14日

ショパンのバラードについて、私は、演奏会では、1番と4番を弾きますが、当たり前の事ですが、内容もテクニックも大変難しい。のに、2010年六甲でのアンリ バルダ先生のレッスンに両方持って行った。先生は、私に言った。4番は、死ぬほど練習すれば弾ける曲だが、1番に関して言えるのは、非常に危険だ。つまり、死ぬほど練習しても、リスキーだと言うことだ。その前置きの次に、あなたは今度の演奏会で、どっちを弾くのかと聞いた。私は、もう遅い、決めちゃったからと答えた。1番を弾く気は変わらなかったけど、本当の事は、知ったほうがいいと言う事だと思います。ピアノ弾くのは、根性がいります。

余談ですが、そのレッスンに行く時、あまりの緊張から、靴を片方づつ違って履いていったのです。幸いにも黒のエナメルで似た感じでしたが、会場について気が付き、裸足で弾こうかと思った。公開レッスンだから。結局靴を履いて弾きました。



2018年3月12日

簡単に言うと雑文集です。リサイタル前は、一人ピアノに貼り付いてひたすら練習。時には、睡眠時間より長いなんて言うことになると、かなりあぶない。誰かと話しをして、気分転換も、相手の事を考えると、この状況じゃ、やめておく。だけど、頭のなかは、働いている。ので、この雑文で発散するのを思いついた。迷惑かも知れないので、タイトルを難しい言葉にした。と言ういきさつです。でも、気を付けて書きます。